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特集「男前」

2015年2月24日

特集「男前2」 イザベル・アジャーニ 殺意の夏(1983年 サスペンス映画)

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監督 ジャン・ベッケル
出演 イザベル・アジャーニ

ベッケルの佳品 

 イザベル・アジャーニってすごい女優なのだ。カンヌ国際映画賞の主演女優賞を2度、ベルリン国際映画賞女優賞を1度、セザール賞を5度。オスカー候補が2度。セザール賞5度というのが、地元フランスの映画ファンのダントツの支持と評価を受け、追随を許さないって感じでしょう。だから「男前」シリーズにもっと早くに登場させるべきだとは思っていたのだけど、なんていうか、心のどこかに(彼女が友達になろうといってきたら=いうはずないけど=絶対断わろうね、断るよね)と自分自身にささやく声があったのよ(笑)。普通の神経じゃもちませんよ、こういう人とつきあうの。まず主要映画賞の対象になった作品をみていこう▼「アデルの恋の物語」イザベル20歳(アカデミー主演女優賞候補)。「ポゼッション」36歳。カンヌ国際映画祭女優賞・セザール賞)本作でセザール賞、「 カミーユ・クローデル 」(33歳)ベルリン国際映画祭女優賞・セザール賞とオスカー候補、「王妃マルゴ」39歳、セザール賞。彼女の受賞歴ってつまり「アブナイの女」の歴史じゃない。アナーキーな女を演じるとイザベルは精彩を放つのよ。本来なら文芸作品であり、伝記映画である「ブロンテ姉妹」で、イザベルが演じたのは次女のエミリだった。人前にでるのをいやがる性格と、28歳で死んだ短命のためエミリの資料は極端に少ない。写真すらない。兄が描き残した姉妹の肖像画だけがエミリの相貌を伝えているが、イザベルの「エミリ」には(そうか、エミリ・ブロンテってこういう人だったのね)と素直に入っていけた。なぜか? 決まっているじゃない、イザベルが演技表現のうえで自家薬籠中とする狂気を、エミリという天才がきっちり内包していたからよ▼横道にそれるからこの話題をもちだすのは気がひけるのだけど、たとえば「めぐりあう時間たち」でニコール・キッドマンが演じたヴァージニア・ウルフ。これでオスカーっていうのはちょっと甘すぎないかと思ったわ。ウルフという女性は繊細だったけど弱い人ではなかった。ウルフが自殺したのは病気によって書けなくなった、作家生命を失ったという深い喪失感のためであって、頭がおかしくなったせいでも精神に異常をきたしたせいでもない。それどころか「書けなくなったから生きていてもおもしろいことありません、死にます」という明晰な判断によって死は選ばれたのだ。劇中のめそめそしているウルフではなく、彼女のスピリッツはむしろ男性的である。ウルフを演じたのが(全然イメージがあわないきらいはあるが)イザベラなら、創作に奔り、女に奔り、死に奔ったウルフの「聡明な狂気」に別面からのアプローチをしたように思える▼ぶつぶつ独り言はこのへんにして「殺意の夏」です。いい映画ですよ。イザベルがとことんリキ入っているなあ(笑)。こんな女にそばにおられたほうはたまりませんけどね。案の定、彼女が近づいた、あるいは彼女に近づいた男たちはみな破滅してしまう。ヒロインのエルも狂い20歳になったばかりの若さで、彼女の人生は精神病院の闇に閉ざされてしまう。救いがないといえばこんな救いのない映画も珍しいのに、陰鬱でないのはどうして。たぶんイザベル、いや主人公エルの「一生懸命」の迷いのなさが後腐れを引きずらないのだ。ひどい結果になってしまったけどしょうがないなあ、殺された男たちは殺され損、エルを愛した男は運が悪かった、エルは自業自得、でも命さえあればいいこともあるさ…というみたいな、大空にむかって文句をつけてもはじまらないような、つきぬけた色があるのだ▼一言でいうとこの映画はエルという女の復讐物語です。母親が3人のゆきずりのトラックの運転手に強姦され自分をみごもった。父親は男たちを殺してやると誓うが、エルは父親にそんなことができるとは信じていない。エル自身自分の出生のトラウマで、男に、父親にさえ接触されることを忌み嫌う。彼女は幼くして復讐する決意を固め、いくつかのてがかりをもとに、この村に引っ越してきた、初めて来た村をエルが露出度全開の服で挑発的に腰を振りながら歩いていく後ろ姿。ジャン・ベッケル監督手練の導入部だ。レイプ犯3人が運んだはずの電子ピアノ、彼らがなにくわぬ顔で生きている現在の生活、ひとめでエルに惹かれ結婚を申し込む地元消防隊員の誠実な男パン・ポン。エルを受け入れるパン・ポンの家族。やれ認知症だ、やれ耄碌している、やれ耳が遠いといわれながら、いつも部屋の一隅で編み物をし、エルの本心をみぬくパン・ポンの母の姉ニーヌ。エルはこのおばあちゃんにだけなぜか心を開き、他の家族が大声を出しても聞こえないのに、エルの低い声をおばあちゃんは聞きわけるのです。このおばあちゃんがだれあろう、シュザンヌ・フロンです。2006年彼女の死の前年公開された「モンテーニュ通りのカフェ」が遺作となり、同映画は「シュザンヌへ」と献辞されています。孫のセシル・ド・フランスに、パリへ行っていろんな人生をみなさいと背中を押すおばあちゃん。本作でも懐疑に凝り固まったエルの暗さを受け流し、ほかの大人たちのように彼女を批判せず、ホメもくさしもおだてもせず、ただ見つめる顔芸がすばらしい。人口が少なく、みな顔見知りでよそ者のいない小さな町で、レイプ犯は簡単に追跡できました。そのあとこそこの映画の本領発揮なのです。二転三転のどんでん返し、名匠ベッケルの名に恥じない佳品です。

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