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特集「男前」

2015年2月26日

特集「男前2」 タルラ・バンクヘッド 救命艇(1944年 サスペンス映画)

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監督 アルフレッド・ヒッチコック
出演 タルラ・バンクヘッド

「母親もいっしょよ」 

 タルラ・バンクヘッドといってもよほどの映画ファンでない限り、みな忘れているだろう。この映画そのものが1944年、ヒッチコックの初期の映画だ。ヒッチコックの実験時代ともいう時期で、いずれくる「ヒッチコック帝国」の基盤づくりともいうべき、彼のスタイルを構築しているときだった。1950年代、60年代前半における練り上げた、それでいて軽々としてしかも芳醇な「サスペンス」ではないが、几帳面なヒッチコックが鉛筆デッサンのように描きこんだ、出演者たちの輪郭や体温はよく伝わるのである。そのなかでずばぬけて精彩を放つ女優がタルラ・バンクヘッドだ▼粗筋は、もうたいていのヒッチコック映画の解説で言い尽くされていると思えるのであとにしよう、映画の粗筋なんかよりこの女優のほうがよっぽど面白いのだ。タルラは1902年アメリカの南部アラバマ州に生まれた。民主党の有力な政治家を父に持つ裕福な家のお嬢さんだったが、母親は敗血症のため彼女を産んで数日後に亡くなった。彼女の母親代わりになったのは黒人の乳母だった。母親を早くに亡くしたこともあろうが、少女時代から問題児で、父親は素行不良で転校を繰り返す娘に頭を悩ませ、カトリック系女子修道院に送り込んだがこれが裏目に出た。それでなくとも恋愛に積極的だったタルラは、ここですぐ女の子の恋人をつくった。彼女のバイセクシュアルの目覚めである。後年こんなことを言っている「父は男と酒に気をつけろと注意してくれたけど、女とコカインについてはなにもいってくれなかったわ」▼彼女は自分自身の恋愛やセックスを常々公言し、スキャンダル・クィーンとしてマスコミを賑わしたが、どこででもだれにでも、忸怩とすることはなかった。気に入らない役は全部断った。わがままが服を着て歩いているような彼女だったが、女性に対するしばりの強い時代に、いやなものはいや、したいことだけする、侮辱するやつはだれであろうとやり返すという生き方は自由で型破りで強かった▼彼女が35歳のとき「風と共に去りぬ」の主演、スカーレット・オハラのキャスティングがあった。当時主だった女優はみな売り込んだものだ。キャサリン・ヘブバーン、ジョーン・クロフォード、キャロル・ロンバート、マール・オベロン、ポーレット・ゴダール、スーザン・ヘイワード。タルラ・バンクヘッドも候補にあがったが、年齡がいきすぎているという理由で落ちた。スーザン・ヘイワードは19歳、これも若すぎるという理由でペケ。結果的にヴィヴィアン・リー24歳に決まったのだが、南部の生まれであり、家庭環境の裕福だったこと、黒人社会を肌で理解していたこと(小説の舞台はなにしろ南北戦争である)、スカーレットのエキセントリックな性格などからみて、もっとも適していたのはタルラだったと今でも思う。彼女の硬派の性格がよくわかるエピソードがある。トルーマン大統領の招待を受けたタルラは「母親同伴でいきたい」と答えた。彼女がいう母親とは黒人の乳母である。人種差別の強い当時のアメリカで、ホワイトハウスに黒人を招き入れることはなかった。「母親といっしょでなければいかない」ガンとしてタルラは突っ張り、ホワイトハウスが折れた。タルラは母親を同伴した。ホワイトハウスに史上初めて黒人女性が足を踏み入れたのはこの日、このときである▼「救命艇」に出演したときタルラは42歳だった。ヒッチコックはよくよく気の強い女が好きらしい。戦争のただなか、攻撃を受けた貨物船から救命艇で脱出したコニー(タルラ・バンクヘッド)がひとりボートにいる。とんでもない場違いなかっこうである。仕事がレポーターだという彼女は、ミンクのコートにタイプライター、カメラにシガレットケース、腕にはキラキラのブレスレット。まるでパーティに行くみたいな出で立ちでおもむろにタバコをふかしている。救命艇に、ひとり、またひとりと海に投げ出された男や女が上がってくる。コニーはパチパチ、シャッターを切って記録する。遭難者のなかにはドイツ兵までいた。敵だから殺せという男たちに、困ったときはお互いさまで、殺しあうことなんかない、それにコニーはドイツ語がしゃべれるので、彼が航海術や操縦法に長けていることを知る▼救命艇という密室でヒッチコック得意の心理戦が展開する。コニーはアバズレかもしれないが知性的な女である。救命艇の船長をだれにするか。コニーはドイツ人がいいという。敵でも能力のある者が指揮をとるべきだと。正気の沙汰ではないと反対した男たちの多数決で、機関士が船長となるが艇は迷走する。足のケガが悪化してエソになり切断しなければ命がない男がいた。設備も麻酔もない救命艇で、ケガ人に思い切りブランデーを飲ませて足を斬るのである。酒好きの当人はもっと飲ませてくれと頼む。それ以上飲んだらダメだと堅いことを言うまわりの男たちのなかで、コニーは「グッとやりなよ」とビンごと持たせる。「キスしてくれ」と男が頼むとためらいもなくしっかりキスしてやる。いい女ではないか。1968年12月12日66歳で没。最後の言葉は「バーボンをちょうだい」だった。

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