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特集「ベストコレクション」

2015年3月10日

特集 弥生3月/ベスト・コレクション ハンナ・アーレント(下)(2013年 事実に基づく映画)

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監督 マルガレーテ・フォン・トロッタ
出演 バルバラ・スコヴァ/ジャネット・マクティア/ニコラス・ウッドソン

カントの娘たち(下) 

 ハンナ・アーレントの講義シーンの全文です。彼女が自著「イェルサレムのアイヒマン」によって明らかにしたのは「悪の凡庸さ」です。ハンナは「何人も服従する権利をもたない」という有名な言葉を残しています。自分の知識と信念以外には何者にも服従しないと宣言することで、アイヒマンと決定的に異なる存在となりました。アイヒマンは裁判において「自分は上官の命令に服従しただけだ」「戦争だから仕方なかった。上に逆らったって状況は変わらない。そんな世界観で教育されたのです。それが命令でした。殺すか否かはすべて命令次第です。わたしは事務的に処理しただけです。一端を担ったにすぎない」と終始一貫繰り返しています▼アイヒマンのシーンはすべてドキュメンタリー・フィルムで彼の表情、肉声、口ごもりや頬の痙攣までが伝わります。フォン・トロッタ監督はアイヒマンの実像を伝えるため、いっさいの演技を排除したのです。ハンナはアイヒマンが盲目的に義務を守ることで、人間と非人間をわける重要な特質のひとつ「思考する能力」を放棄したと判断しました。「悪の凡庸さ」とは、ハンナがアイヒマン裁判の報告書で導入した概念で、悪は悪魔的・サタンの化身や変質者から生まれるのではなく、ごく普通に生きていると思い込んでいる、平凡な一般人によって引き起こされるという事態をさしています。以下はハンナの講義シーンの全文です「わたしは、雑誌社に派遣されてアイヒマン裁判を報告しました。わたしは考えました。法廷の関心はたったひとつだと。正義を守ることです。難しい任務でした。アイヒマンを裁く法廷が直面したのは法典にない罪です。ニュールンベルク裁判以前は前例もない。それでも法廷は彼を裁かれるべき人として裁かねばなりません」▼「しかしそこには、裁く仕組みも判例も主義もなく、反ユダヤという概念すらない人間がひとりいるだけでした。彼のようなナチの犯罪者は人間というものを否定したのです。そこには罰するという選択肢も、許す選択肢もない。彼は検事に繰り返し自分が自発的に行ったことはひとつもないと反論しました。善悪を問わず自分の意思は介在しない、命令に従っただけなのだと。こうした典型的なナチの弁解でわかります。世界最大の悪はごく平凡な人間が行う悪です。そんな人には動機もなく、信念や邪神や悪魔的な意図もない。人間であることを拒絶した者なのです。この現象をわたしは悪の凡庸さ、と名づけました」質問「先生は主張しておられますね。ユダヤ人指導者の協力で死者がふえたと」ハンナ「それは裁判で発覚した問題です。ユダヤ人指導者はアイヒマンの仕事に関与していました」参加者のひとり「それはユダヤ人への非難ですよ!」ハンナ「非難など一度もしていません! 彼らは非力でした。でもたぶん抵抗と協力の中間に位置するなにかがあったはず。この点にのみ関していいます。ちがう振る舞いが出来た指導者もいたのでは、と。そしてこの問いを投げかけることが大事なのです。ユダヤ人指導者の役割からみえてくるのは、モラルの完全な崩壊です。ナチが欧州社会にもたらしたものです。ドイツだけでなくほとんどの国にね。迫害者のモラルだけでなく被害者のモラルも」▼質問「迫害されたのはユダヤ人ですが、先生はアイヒマンの行為は人類への犯罪だとおっしゃっています」ハンナ「ユダヤ人が人間だからです。ナチは彼らを否定しました。つまり彼らへの犯罪は人類への犯罪なのです。わたしはユダヤ人です。ご存知ね。わたしは攻撃されました。ナチの擁護者で同胞を軽蔑しているってね。何の論拠もありません。これは誹謗中傷です。アイヒマンの擁護などしていません。わたしは彼の平凡さと残虐行為を結びつけて考えましたが、理解を試みることと許しは別です。この裁判について文章を書く者には理解する責任があるのです。ソクラテスやプラトン以来、わたしたちは思考をこう考えます。自分自身との静かな対話だと。人間であることを否定したアイヒマンは、人間の大切な質を放棄しました。それは思考する能力です。その結果モラルまで判断不能となりました。思考できなくなると平凡な人間が残虐行為に走るのです。過去に例がないほどの大規模な悪事をね。わたしはこの問題を哲学的に考えました。思考の風がもたらすものは知識ではありません。善悪を区別する能力であり、美醜を見分ける力です。わたしが望むのは考えることではなく人間が強くなることです。危機的状況にあっても考えぬくことで破滅に至らぬように。ありがとう」▼ハンナは後日こうも言っています。「みんな過ちを認めろというけど、なにが過ちなのかを言えない。凡庸な悪は根源的な悪とはちがう。あの悪(ホロコースト)は極端だけど根源的ではない。深くかつ根源的なのは善だけ」ハンナは悪の問題に何度も立ち返りました。悪の凡庸さとは、ハンナのこの事件以来有名なキーワードとなり、ホロコーストに対するそれまでの見方を、違った角度から見直させました。本作は2013年のドイツ映画界の主要賞を受賞しています。ドイツ人でなければ作れなかった映画だと思います。フォン・トロッタはたまたまだと言っていますが、本作のプロデューサー・監督・脚本・撮影・編集・主演、みな女性でした(笑)。ハンナ・プロジェクトを完成させ世に送り出したのは彼女らです。

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