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特集 LGBTー映画にみるゲイ

2015年3月15日

特集 LGBT-映画にみるゲイ115
アデル、ブルーは熱い色(上)【ゲイ映画】

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監督 アブデラティフ・ケシシュ
出演 レア・セドゥ/アデル・エグザルコプロス

境界を越えていく恋 

 アデル(アデル・エグザルコプロス)がとても性格のいい子でしてね。彼女は18歳。名門パストゥール高校から大学に進学、院生になると補助教員として働ける、子供が好きだから幼稚園の先生になりたいとエマ(レア・セドゥ)の両親に話す。アデルの慎ましい夢はエマ家では「安定を求めているのね」と保守的に受け止められる。「道を模索しているうちに夢は見つかるよ」とエマが言葉を足して励ます。アブデラティフ・ケシシュ監督はアデルを「林檎をかじるように人生を齧りたいと考えている」とインタビューに答えていますが、これはとりもなおさず監督の作風だと思えます。ひとつも奇をてらわず、林檎をかじるように、レンガを積み上げるように堅実に映画は進む。世上それだけが話題になったアデルとエマのセックスシーンも、監督にすれば齧るべき林檎の一口にすぎない(咀嚼が念入りですが)それくらいすべてに性急さがない。まるで人生の一日一日はこう過ぎていくのだ、そんな達観がこの映画を明るく、静かな空気で満たしています。本作にはほとんど音楽が使われていない。アデルとエマが初めてお互いを凝視するシーンにまったく音はなく、クローズアップの切り替えです。サルトルの「人間の顔の持つ弱さ」をエマは引用していますが、この場合の「顔」は魂の同義語だといってもいい。監督は顔について「顔に近づくことは魂に近づくこと」だという見解を語っていました▼ふたりの出逢いは偶然です。デートに向かうアデルは、交差点の向こう側で女友達の首に腕をまいて立っている、髪をブルーに染めたエマにひきつけられた、すれ違いざまふりむくとエマも自分を見ていた。レア・セドゥの射るような視線にドキッとします。つぎにふたりはゲイバーで出会う。エマは美大の4年生である。読書好きのアデルとサルトルの好きなエマは話があい、エマはアデルにどこの高校かと聞く。ある日の放課後教室を出たアデルを校門でエマが待っていた。アデルは同級生たちの話しかける声も無視しエマのもとに走って行く。大木のかたわらにあるベンチに座り、エマがアデルをスケッチしている。このときも監督はふたりのクローズアップを交互に映します。アデルの質問に「うん」とか「ああ」とか気のなさそうに返事するエマですが、並々ならぬ強い感情が視線に宿っている。それにひきかえアデルはとても幼い。半開きにした唇はいつもなにか言いたそうで、聞きたそうで仕方ないふうに見える▼アデルは健康な女の子です。よく食べる。両親も食べることが大好きである。夕食のパスタを食べるシーン。「お代わり」とアデルがいう、父親がどっさり娘の皿に盛ってやる。アデルは壮大にほおばり、ナイフは舐める、ソースのついた指先も舐めてきれいにする、手の甲で唇をぬぐうときも休まず咀嚼している。アデルとデートした同級生の男子に監督の扱いのつれないこと。アデルは注文したケバブに前歯をむきだしてかぶりつき、セリフをいうのもやっとなくらい頬張る。男の子は行儀よくきれいな歯をみせて笑うがアデルは食うのが先である。アデルが自分にあまり気がなさそうなので男はおずおず「僕がいやか」と聞く。アデルは「そんなことない」といい、申し訳のようにセックスするのですが全然楽しそうではない。それどころかエマとすれちがった日の夜、アデルが自慰したとき思い浮かべたのはブルーの髪の女である。別れようと男はいい、アデルも「それじゃね」ひとりその夜はベッドで泣くのですが、手をのばしてチョコバーを取り、泣きながら食べている(笑)。アデルの家は料理と食べ物の話題が多い。同学年の女の子とキスしてアデルは機嫌よく家に帰った日の夕食。母親は「モモ肉がしっかり焼けているわ。はい、ポテトも」ワインをとくとくといい音をさせて注ぎ「アデルがぼんやりしているわ。なにかいいことがあったみたいね」と笑う。相手の女の子はお遊びだったとわかりアデルはいたく傷つき、同級生のボーイフレンドといっしょにいったのがゲイバー。男ばかりだったので店を出てひとりで歩いていたら同じ通りにもう一軒ゲイバーがあった。ふらっと中に入るとこっちの店は女ばかり。そこにエマがいた▼同級生たちにお前はレズかと、アデルは吊るし上げをくい「違う」と打ち消したものの、エマを否定する女子たちを突き飛ばし張り飛ばす。アデルの味方もいて「あなたたちも言い過ぎよ、言葉の暴力よ」と割ってはいる。アデルはだれの目も気にせずエマとあうようになる。ふたりの話題は食べることが多い。草の上で広げたランチかなにかでしょうが、アデルが薄いハムをちぎって口にいれる。エマは皮を食べないで捨てる。皮を食べないのとアデルが聞く。こういうしょうもない会話が意味ありげに聞こえるのは監督か女優か、どっちのせいでしょう。どっちもの力でしょう「わたしは皮も大好き」とアデル。「大食らいね」とエマ。「食べつくすの」「どんなふうに?」「一日中食べていられる。お腹が空いていなくても食べる。甲殻類だけはダメだけど」「わたしは牡蠣が好き」「気持ちわるい。大きな鼻くそみたいでしょ」「別のものに似ている」ニヤッとしてアデル。別のものにピンとこないアデルは「女の子が好き? 初めてキスしたのは何歳? 女の方が好き? 両方?」質問攻めにするがエマはいやがらずひとつ、ひとつに正直に答える。質問が尽きたのか、アデルは黙りエマを見つめる。またもやクローズアップ。エマの強い視線を見つめ返すアデル、うすく開いた唇からのぞく舌、エマの頬に微笑とともに刻まれる彫りの深いみぞ。アデルのほうから顔をよせキスして照れくさげに笑う。こういうシーン、つまり恋が性の境界を越えていくシーンに、ゆっくり時間をかける監督なのですねケシシュは。そしてふたりのベッドインを前半のクライマックスとしていいかと思います。アデルとエマが夢中でお互いのお尻をつかむときに「パシッ」と乾いた音が鳴る。これまで書いてきたゲイ映画では、見たことのないリアルで新鮮なシーンでした。アデルが18歳、エマが22、23歳くらいでしょう。30歳と35歳ではほとんど人生経験に差はありませんが、20歳前後の4、5年の開きは大きい。アデルはエマの知性や教養の高さにミステリアスなものさえ感じます。哲学の苦手なアデルがエマに教えてくれと頼み、ふたりはお互いの家を行き来するようになる。そのたび交情は濃くなりやさしさは深まる。アデルはエマに聞く。「わたしの哲学はどのくらい上達した?」「14点」「20点満点で?」「もう少し実践が要る」「努力する。全身全霊で」アデルの愛に一点の濁りもありませんでした。

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