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特集 LGBTー映画にみるゲイ

2015年3月29日

特集 LGBT-映画にみるゲイ129
オズの魔法使い(1954年 ゲイ映画)

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監督 ヴィクター・フレミング
出演 ジュディ・ガーランド

新しい歴史

 本来ならファンタジーのジャンルであるこの映画を「ゲイ」の範疇にいれたことにピンとくる方がおられるでしょう。そう、主演の少女はジュディ・ガーランドです。ゲイ映画を語る上でとても重要な女優です。本作への出演はジュディが17歳のときだった。大ブレイクし仕事が押し寄せ、彼女は多くの他の俳優がそうであったように睡眠薬と覚醒剤を常用するようになります。17歳のときからですよ。映画会社は俳優を休みなく働かせるために、薬害も調べず必需品として服用させていました。マリリン・モンローもその犠牲でした。ジュディは25歳にして神経症が顕著になり最初の自殺未遂、そして精神病院に入院となります。結婚・離婚の繰り返しや映画会社からの解雇などもあり、彼女はハリウッドから、ロンドンやニューヨークでのコンサートに軸足を移します▼ジャズ歌手としてのジュディの歌唱力は再認識され映画界に復帰、「スタア誕生」でアカデミー主演女優賞候補となりましたが、受賞は「喝采」のグレース・ケリーでした。ジュディの私生活は再び荒れ始めますが、この女優はまるで自分を燃やす「破滅」という炎を食べて生きる火喰い鳥なのか、「ニュールンベルグ裁判」でバート・ランカスターやマレーネ・ディートリッヒに遜色ない存在感を示し、オスカーで助演女優賞候補となります。ライザ・ミネリはヴィンセント・ミネリとの間の娘です。ライザは母親を殺したのはハリウッドだとして葬儀をニューヨークで行いました。ジュディの莫大な収入はすべて費やされ借金だけが残っていた。47歳。薬物とアルコールで体はぼろぼろでした。彼女が死んだのは1969年6月22日です。この5日後にストーンウォールの反乱が起こりました。ニューヨークのゲイバー「ストーンウォール・イン」で、警察による踏み込み捜査を受け、いつもはおとなしく店を出て行くゲイたちがその夜にかぎって反抗し暴動を引き起こしたのです。警官400人に2000人を超えると見られるゲイが集結し、初日の暴動は45分ほどだったものの、逮捕者も負傷者も出ました。翌日28日は差別撤廃と解放を訴えるスローガンを掲げたゲイたちが押し寄せ、車の通行は完全にストップした。ゲイたちが27日の夜、それまでのような忍耐を拒否した理由として、ジュディ・ガーランドの死がゲイの団結を高めたといわれています。ジュディは自身がゲイであることを公言し、ゲイ・コミュニティを理解してきた数少ない有名人だった。ライザがハリウッドでなく、ニューヨークで行った葬儀の場所はストーンウォール・イン近くの教会でした。警官が店に踏み込んだとき葬儀に参列した参加者らで、ジュディの思い出が語られていたときだった。彼らは警察の無神経で侮辱的な差別発言と振る舞いに、堪忍袋の緒を切った、そう今も伝えられ信じられています▼「オズの魔法使い」で歌われる「虹を越えて」はゲイ解放の象徴となりました。ゲイの集会では必ず演奏され、レインボーフラッグ(虹色の旗)もまた、この歌からできたものです。事件の翌年1970年6月最終日曜日、反乱1周年を記念する男女5000人がグリニッチ・ヴィレッジからセントラル・パークを行進しました。これがニューヨーク最初のLGBTプライベートパレードです。以後毎年6月最終日曜日はパレードが行われ、市長やゲイと警官、諸団体の参加が恒例となり、北米の主要都市でも同様のパレードが行われるようになりました。ニューヨークのエンパイア・ステートビルはいろんなイベントに応じてライトアップの色を変えますが、6月最終日曜日はラベンダーです。カナダは2005年、アイスランドは2006年に同性婚を法制化しましたが、可決したのは6月28日でした▼「オズの魔法使い」とその主演女優には以上のような背景があります。ジュディ・ガーランドという破滅型というしかほかにたとえようがない女優が、映画が始まってまもなく、あどけない表情で「たつまきにのってわたしは虹の向こうへ来たのね」と言います。虹の向こうにあったのはなんだったのか、彼女が招き寄せたのはLGBT解放という新しい歴史でした。ストーンウィール・インは今もニューヨークのクリストファ・ストリート53番地にあります。

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