女を楽しくするニュースサイト「ウーマンライフ WEB 版」

  • facebook
  • twitter
  • line
  • rss

特集 LGBTー映画にみるゲイ

2015年3月30日

特集 LGBT-映画にみるゲイ130
ヴィオレッタ(2011年 ゲイ映画)

Pocket
LINEで送る

監督 エヴァ・イオネスコ
出演 イザベル・ユペール/アナマリア・ヴァルトロメイ/ドニ・ラヴァン

「わたしも死ぬわ」 

 タニア・モドゥレスキー著の「知りすぎた女たち/ヒッチコック映画とフェミニズム」で目からウロコの箇所があった。ヒッチコックは女嫌いという定説を、確かにそういわれても仕方ないと受け止めていたのだが、タニアはヒッチコックが女性の両性愛という考えにとりつかれていた、そしてこの悪賢い監督は、観客を多くの女性登場人物に同一化させる術を心得ていた、となれば彼の映画は女性観客の問題を検討するのに格好の地歩を提供する、例えば「マーニー」であり「鳥」である…「鳥」と聞いてタニアのいわんとすることにピンときた読者がおられると思う。慧眼の方はピンとなど来るまえにお察しだったにちがいない。なぜならヒッチコックの多くのフィルムで、娘と母親の過剰同一化はしばしば指摘されてきたことだったからだ。もっと簡単にいえばタニアはゲイの要件が母親と娘の関係に認められるとし、母親が娘との強い愛情の絆を失うことがいかに辛く、いかに望ましくないと感じているかを視点操作した映画として、ヒッチコックよりさらに遡る「ステラ・ダラス」(1937)をあげて論証する▼「ヴィオレッタ」は母親の娘への期待、それも強制的な期待が児童虐待に等しいとされた批判を映画にしている。母親アンナ(イザベル・ユペール)は売れない写真家、ヴィオレッタは美しい12歳の娘。アンナは死の匂いがたちこめそうな暗いスタジオに娘を横たわらせる。ヴィオレッタの周りにはドクロ、スケルトン、葬式の花輪。窓を閉め厚いカーテンがひかれ、ヴィオレッタが「お腹すいた」(早熟とはいえまだ中学生である)と訴えても「食事より仕事がさき」とはねつけ「もっと脚を開いて」「いやよ。ヘアがないから子供だとばれる」「それがいいのよ。毒のある花みたいで」アンナの娘を写した一連の作品は、未熟な体と子供とは思えない攻撃的な視線、ハンス・ベルメールの球体人形に似たデカダンで一躍アート界の注目を集める▼アンナの言動は世の母親の反発を買うこと必至である。しかしヴィオレッタも相当なのだ。「下着も脱いで」と母。「いやよ。男とヌードは撮らないわ。少女だけのほうが目を引くわ。ママの人生はだれも気にしないわ。ママはおばさんで、目当てはわたしよ」と思えば「ママ。近親相姦ってなに?」「親子で寝ることよ」「わたしとママね」「…」「楽しくないからモデルやめる。成績も下がった」「成績がさがったのはお前が怠けたからよ」(コキ使っているの、お前だろ)「(級友の)アポリネールの家に行くの。探検ごっこするのよ」「だめよ。写真を撮らせたら行ってもいいわ」この母親はしょっちゅうわめいているし、エゴイストかつナルシストでフツーの人と世間をバカにし、言動は支離滅裂だ。でもアンナの親友で画家のエルンスト(ドニ・ラヴァン)はヴィオレッタに言う「お母さんは君を愛しているのだ、彼女なりに、だけど」確かに…ある日娘をみながらアンナが言う「専門家に見せるわ。あんたは壊れかけている」(よく言うよと思うが)「もう脱がない。ママは普通の母親とちがう」「どこが」「抱いてもくれない」「あんた、抱いてくれと言った?」「ンもう。わたし死にたい」「わたしも死ぬわ」こういう母娘なのだ。撮影で家をあけることの多いアンナに代わりヴィオレッタを育てていた曾祖母が死んだ。アンナの部屋は墓地が見える部屋だ。その窓辺にすわり「わたしたちふたりきりになったわね」とアンナがつぶやく▼アンナの写真集が発刊され好評だった。「子供でも女でもない、不確かな時代を反映している」。ところが12歳の中学生を学校にもいかせずモデルをさせていた、しかもヌードまでさせたとアンナは児童虐待で訴えられ、裁判所に親権を剥奪されるおそれがあると通告を受ける。ソーシャルワーカーが事情聞き取りにくる。アンナが受けたカウンセリングのテープを聞いたヴィオレッタは、アンナが曽祖父から祖母に対するレイプの結果生まれた望まれない子だったと知りショックを受ける。アンナは「でまかせを言ったのよ」とごまかすが、ヴィオレッタは自分に狂った男の血が流れていることに不安を覚え、路上ひったくりを働き施設に収容される。非行少女たちと同居するヴィオレッタは髪をショートカットに、着るものもカジュアルなシャツに変わり、むしろその年頃らしくせいせいしている。アンナが面会に来た。それを知ったヴィオレッタは窓から抜け出し、アンナの「愛している」と叫ぶ声を背に聞きながら森へ逃走する▼本作はエヴァ・イオネスコ監督の自伝だ。ヴィオレッタ役に応えたアナマリア・ヴァルトロメイはフレンチ・ロリータとして一躍脚光を浴びた。ぞっとするほど妖艶にみえるシーンもあるのですが、これは撮影術でしょう。本人は基本的に「探偵ごっこに行きたい」ですからね(笑)。しかしなんといってもこういう問題提議をする女、というより存在そのものが問題定義であるという女をやらせたら、イザベル・ユペールは天下一品です。とんがった細い鼻梁をツンと上にむけ俗世間を小バカにする。細い小柄な体に大きな頭という、子どもじみた体型ですが放つ雰囲気のシャープなこと。役に入りきるというか、彼女に任せたら絶対安心なものがある、監督にそう思わせる女優です。クロード・シャブロルといい、ミヒャエル・ハネケといい、フランソワ・オゾンといい、ヨーロッパ・テイストを代表する作家たちが彼女をミューズとしてきました。わがままなハネケなんか、だれでもよさそうなチョイ役にユペールを使い「愛~アムール」のラストシーンを締めさせています。

Pocket
LINEで送る