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シネマ365日

2015年5月3日

特集 ミーシャ・バートン ネットストーカー(2012年 サスペンス映画)

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監督 カーティス・クロフォード
出演 ミーシャ・バートン/ロン・リア

アンハッピーな女 

 低予算の暗い映画にばかり出ているうちに、ミーシャ・バートンはすっかり不幸顔が身についてしまったわね。大ヒットは見込めなくても、定着しているミーシャファンのおかげでボロ損は免れるからか、この路線は存続しているのね。だからどうしても内容は、客を集めやすいホラーやサスペンス系になる。それとミーシャの性格にもよると思います。役者には、役をこなす任(にん)というものがあって、役と俳優の中身があまりにかけへだたった場合は、いかにもそぐわない。多彩な役柄をこなす女優、例えばメリル・ストリープとかカトリーヌ・ドヌーブとか、ニコール・キッドマンとか、ジョディ・フォスターとか、シャーリーズ・セロンもわりとなんでも引き受けていますね。彼女らはどんな役にも服を脱ぎ変えるように平々と入っていくが、自分のグレードにふさわしくない役を、でも選んだことはない▼ミーシャはその逆ではないか。彼女は自分の性格にあった役にしか入っていきにくいのではないか。内省的でひきこもりがちでうちとけにくく、犯罪にまきこまれやすい。そんな役ばかりめぐってくるのは彼女が自分でひきよせているからだともいえる。女優にとってイメージは大事なものかもしれないが、脱皮につぐ脱皮で大女優の座を築いた前述の女優たちの、美しく力強く価値あるもの以外に、自分を従属させるものなど認めない、そんな傲慢とすら呼ぶべき姿勢がミーシャには感じられない。トラブルが多いのでお騒がせ女優のようにいわれるが、ウツになる人には真面目で誠実な性格が多いというではないか。サイトにミーシャの太った写真がよくでまわったが、体重の増減はハリウッドでは当たり前のことだ。ニコール・キッドマンだってユマ・サーマンだって、彼女らは180センチの長身で、そこにしっかり増量したものだから、今にも土俵入りしそうに見えたことがある。女優だけじゃない。キアヌ・リーブスやジュード・ロウも、見分けがつかないほど肥満した容姿が再々パパラッチの餌食になった。でも彼らは次作までにちゃんと間に合わせてカメラの前に出てくる。どんな状態であっても必要な「その時」にスタンバイできるのがプロだろう。ミーシャだって再起不能のようにいわれながら、少なくともスクリーンの「見た目」でボロはだしていないのである▼ミーシャ・バートンとはしかし、考えようによれば「半泣き顔」だけで映画が撮れる稀有な女優だろう。一芸に秀でるとはこれをいうのだろうか。本作にしてもヒロイン、エイデンは高校生時代に両親がストーカーに殺された薄幸の少女である。もちろんミーシャの役だ。13年後エイデンは画家となり、精神科医のセラピーを受けながらひっそりと暮らしていた。若き世捨て人のように本人はいうが、そのわりに広いアトリエ、センスのいい家具、瀟洒なインテリア、世捨て人にしてはセレブである。エイデンの過去の悲劇を知っている美術商ウィントンは、エイデンの才能を認め、世に出すために支援するが、彼女は頑なに拒む。才能がなくても出たがる画家とえらいちがいというべきか、能あるタカのカマトトぶりが鼻につくというべきか、映画はどうも、ふつうの感覚でいえば後者に傾いてくるようにみえる。というのも未解決になっているこの事件を13年間追っているベイジ刑事(ロン・リア)がいるのだ。昼夜を問わず見張っていてくれる。これ以上心強い存在はないのにエイデンはこわい、こわいといいながら恋人やベイジ刑事さえ、自分をだましているのではないかと猜疑地獄に陥ってぐずぐず、ぐずぐず、あげくのはてにだれも相談する人はいないからと、知り合ってまもない、もっともよく人物のわかっていないプログラマーに相談をもちかける。登場人物が少ないから犯人はすぐわかる、それを防ぐためヒロインのカマトトぶりで時間稼ぎしていると、性悪の観客に思われても仕方ないな▼犯人は刑事に撃ち殺された。ウィントンは無実だとわかり、アメリカをひきはらってパリで出直すことにした。誠実で熱意はあるが肝心なときに役にたたなかった恋人も、疑いが晴れエイデンとラブラブ。やっと彼女は幸福になれそう、というところで映画は不気味な「その後」を暗示する。こうなると「ミーシャを幸福にさせない会」でも結成されているとしか思えない(笑)。

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