女を楽しくするニュースサイト「ウーマンライフ WEB 版」

  • facebook
  • twitter
  • line
  • rss

映画監督特集

2015年5月12日

特集 監督 ジュゼッペ・トルナトーレ 題名のない子守唄(2006年 事実に基づく映画)

Pocket
LINEで送る

監督 ジュゼッペ・トルナトーレ
出演 クセニア・ラパポルト

彼女に慈しみを感じてほしい

 「イタリア映画史入門」で著者ジャン・ピエロ・ブルネッタは、60年代に獲得した栄光の座から、イタリア映画がすべりおちたあと、努力と試みを怠らず前回以上に結果を残してきた映画人のひとりにジュゼッペ・トルナトーレをあげている。シチリア出身のこの監督は、デビューしてただちに認められたわけではないが、彼には「息の長い物語を生み出す天性の資質」があり、ブルネッタにすればそれこそがルキノ・ヴィスコンティ、セルジオ・レオーネらの遺伝子を継ぐものだった▼「栄光の座」を築いた監督はたとえば、ヴィスコンティ(「山猫」)であり、ヴィットリオ・デ・シーカ(「昨日・今日・明日」)であり、ピエトロ・ジェルミ(「鉄道員」)であり、ミケランジェロ・アントニオーニ(「太陽はひとりぼっち」)であり、フェデリコ・フェリーニ(「甘い生活」)であり、フランチェスコ・ロージ(「シシリアの黒い霧」)だった。トルナトーレは「教授と呼ばれた男」でデビューしたものの、評論家や観衆から贔屓目にみても控えめな反応しか得られなかった。彼の「物語る才能」が花開いたのは、シチリアの小さな映画館のお話だった。一地方の映画館を、夢と空想と欲望のカテドラルに変えたのが「ニュー・シネマ・パラダイス」(1989)だった。本作はアカデミー外国語映画賞を獲得した。1990年代に入ると「宣告」(監督ジャンニ・アメリオ)で同賞候補、「エーゲ海の天使」(1991、ガブリエル・サルヴァトレス)受賞。トルナトーレは「明日を夢みて」(1995)で候補、「ライフ・イズ・ビューティフル」(1998、ロベルト・ベニーニ)受賞。イタリア映画は、まさに60年代からの長い冬眠から覚めたのである▼前置きはこのくらいにして本題に。トルナトーレは本作を撮るきっかけは「乳児の人身売買にかかわる闇のマーケットが存在する、ある日突然そこに関わる女性がその世界を出て、子供を取り戻したいと考えたらどんな行動を取るだろう、その疑問から発展していった」と創作の動機を語っています。ヒロイン、イレーナ(クセニア・ラパポルト)はウクライナの女性に設定されました。欧米とロシアの争奪戦が展開される紛争の地です。例外なく貧しく経済的に追い込まれ、女性は売春ビジネスに従事することが珍しくなくなってきました。なかなか表に出ることのなかったアンダーグラウンドの売春・代理母ビジネスを、トルナトーレは、イレーネという女性の苛烈な、残酷な半生という物語で明らかにしています。どんな映画であるか、監督自らがこう述べます「テーマは母性と母の愛です。愛ゆえにヒロインがすべての困難と障害を乗り越えていく。映画の進展につれ、つぎつぎ疑問が湧いてくるような方法で話を運ぼうとしました。エンディングは温かな雰囲気を感じられるようにしたかった。エレーナが自分の娘だと信じていた少女が、じつはそうでなかったと判明する。しかし少女に愛情を注いだことで母娘としての愛情を得る」▼作ったご本人がそう言う以上付け加えるものはなにもないはずなのですが、どっこい、この映画の豊かさは、監督のレジュメ程度でファンを黙らせてくれない。これも言わせろ、あれもしゃべらせろとうるさくて仕方ない(笑)。わたしもそのひとりですが、トルナトーレの徹底的なリサーチにまず脱帽。イレーナが恋人ネッロの子を妊娠した、彼らは相思相愛、イレーネが娼婦であることもネッロは百も承知だ。当時のウクライナでは売春が珍しいことではなかったのだ。しかし娼婦の元締め「黒かび」は嫉妬、ネッロを殺す。職場に姿を現さなくなったネッロに、イレーネは殺されたと直感、死体を探す。海のようなゴミ廃棄処理場のゴミをスコップひとつで掘る。気を失うような作業とゴミの風景です。イレーナが代理母として出産した赤ん坊の最後の子がネッロとのあいだにできた子だった。他の子の行方を探そうと思わなかったのかという尋問に「あの子だけ父親ともらわれていった先の名前がわかっていたから」▼彼女はそれだけを頼りに「黒かび」を刺殺し(じつはまだ死んでいなかったのですが)、金を奪ってウクライナからイタリアの北部トリエステに長距離バスに乗って来ます。車中うらさびた寒村の風景をみる寡黙なイレーネの表情。イレーネは外国人という差別と不利な条件をものともせず、異常な熱意と方法で、とある金属商の家庭に家政婦として入り込みます。自分のアパートは金属商の部屋の真向かいに決め、小さなベランダには枝の枯れた植木鉢を3つ(意味はあとでわかる)。勤務が終わって夜となってもイレーネは窓際から離れない。彼女は苺を齧っている。ネッロが噴水のそばのイレーネに近づき、両手に盛った苺をさしだし、食べてくれと言った追憶がよみがえる。イレーネは金属商の家政婦になるためありとあらゆる手段を取る。もといた家政婦ジーナを階段から突き落とすのである。ジーナは廃人同様となり療養所で暮らす。定期的にエレーナは見舞いに訪れるが、それにはやはり別の目的がある▼難病のため外に出られず、学校でイジメにあうテア(家政婦に入った先の女の子)に「このつぎはやり返すのよ」「右の頬を打たれたら左のほほをだせと教わったわ」「それは殴ったほうの言い分よ。それに倒れても怪我をしない方法があるわ」イレーネはテアを毛布でぐるぐる巻にし、手も足もでない状態にして何度もつきとばし、自分で起き上がる練習をさせる。執拗な繰り返しにテアは怒りに燃え、ほどいてやるとイレーネの顔を何度も叩く。「そうやって殴るのよ、いいわね」。つぎつぎ疑問がわいてくる方法とトルナトーレの言うとおり、映画は終始サスペンスと謎解きをはらんで進行する。おぞましい「黒かび」は生きており、エレーナの居場所をみつけ、金を返せ、そしてふたたびエレーナを地獄にひきずりこもうとする。弁護士も検事もイレーナの告白によって真相を知る。つぎがそうだ▼「わたしたちは奴隷でした。毎朝決まった金額を届けないと、裸で逆さ吊りにされ、男たちの尿をかけられました。最初の妊娠は偶然でしたが赤ん坊が高く売れることを知ったのちは、計画的に妊娠させられました。黒かびは買い手を探しました。客をつれてきて隠し穴から、並ばせた裸の女達を見せ、買い手が選んだ女は避妊をやめ、やがて妊娠する」「あなたは何回妊娠したのですか」「12年に出産を9回です」凄惨なまでの過去に弁護士も検事も情状酌量をとろうとしたが、肝心のイレーナが生きる気力を失い、量刑軽減の努力も協力もしなかったのである。唯一生きる希望だった子供との再会、そして娘の成長をそばで見守れるよう家政婦としてその家に勤めること(イレーネは自分が実母だと名乗りでることなど考えていなかった)、しかしたったひとつの手がかりだった養子先の名前は黒かびがでっち上げた姓名であり、DNA鑑定の結果テアは子供ではないとわかりイレーネは失神する▼中年に達したイレーネが刑期を満了した。人影のない刑務所の前で、ベンチにすわる。迎えにくる人はいない。イレーネは無表情。視線も動かさない。目の端にだれか入ってくる。高校生くらいの女の子である。刑務所の門の前までいき、だれもでてこないことが不審そうに、腕時計で時刻を確かめる。それをイレーネは離れた場所から見ている。彼女はあたりをみわたし疑問をつのらせるが、やっとイレーネに気づく。成長したテアだ。イレーネはそれがわかる、ひたと視線を充てたままかすかに頷く。テアが顔中笑顔になってイレーネのそばに走る。このラストシーンで泣いてしまいます。原題は「見知らぬ女」。クセニア・ラパポルトはトルナトーレの抜擢に応えました。監督は彼女をこう評価しています「クセニアは孤独で複雑なヒロインを演じるため、16週間の撮影中、家族をよびよせることもなく、ホテルでもひとりで食事し、自分の役柄だけに向き合った。ヒロインはそれまで否定されてきた女性としての権利を取り戻そうと行動的に動いている。それにより物語に共感してもらい、ヒロインに慈しみの気持ちを感じていただけたらうれしい」

Pocket
LINEで送る