女を楽しくするニュースサイト「ウーマンライフ WEB 版」

  • facebook
  • twitter
  • line
  • rss

特集「ザ・クラシックス」

2015年5月14日

特集ザ・クラシックス 甘い生活(1960年 社会派映画)

Pocket
LINEで送る

監督 フェデリコ・フェリーニ
出演 マルチェロ・マストロヤンニ/アヌーク・エーメ/アニタ・エグバーグ

甘くない生活 

 フェデリコ・フェリーニは映画監督のなかでも稀有な読書家だったが、批評家がフェリーニをけなすときによく、彼がひとつも本を読まないことをあげた。人にはそう見えた。これは案外フェリーニの根っこの部分を、性癖のようなものを示していると思えるのだ。フェリーニとは学識や知識を腐るほど蓄えていてもなにくわぬ顔で隠蔽し、吸い上げた養分で手品のように作風を変えるのだ。例のひとつが「甘い生活」だったと思える。「道」とガラリ打って変わった乱痴気騒ぎのオンパレード。「道」がフェリーニの抒情詩であったなら「甘い生活」はアクション・ペインティングだった。「甘い生活」で繰り広げられた壮大な風俗描写は、イタリア映画のネオ・リアリズモから新たな時代への幕開けを告げた▼1960年に公開されたイタリア映画の興収トップは「甘い生活」だった。続いて「若者のすべて」(監督ルキノ・ヴォスコンティ)、「ふたりの女」(ヴィットリオ・デ・シーカ)、「みな家に帰れ」(ルイジ・コメンチーニ)がある。イタリア映画の黄金時代だった。ミケランジェロ・アントニオーニは不安と孤独の不協和音をかきならし、主要国際映画祭の賞をさらっていた。ヴィスコンティはエロスや欲望を美に昇華しなければ気がすまないように、ゲイに、近親相姦に、退廃に挑んだ。デ・シーカは市民が理不尽に受けねばならなかった冷酷な運命を静かに、残酷に告発した。フェリーニは「甘い生活」のどんちゃん騒ぎで、生きる虚無としたたかさを映像にしている。「甘い生活」は当時難解とかモラルを失った現代人の不毛とかいわれたが、今からみればシンプルなからくりだった。登場人物は芸能人のワイドショー専門の記者、かれがほじくりかえすのはセレブの裏話、登場するのは大富豪のお嬢さん、ハリウッドの有名女優、夫婦の不和と絶え間なく生じる別れ話とその修復、一見理想的な家庭に潜在するダークサイド、不倫、淫蕩と退廃。どれもみな庶民の、観衆の共鳴感覚を揺さぶるものばかりだ。われもワレも、観客は乱交パーティを覗き穴からみるような感覚で映画館につめかけた▼フェリーニが自他共に認めた代表作が「道」なのは興味深い。これは大道芸の世界である。芸人はときにマジシャンであり、手品師であり、歌手でありダンサーだった。「なんでもあり」に体を張っている芸人たちだ。フェリーはこの世界が好きだった。ジェルソミーナを棄てるザンパノの無慈悲さ、そんな男といっしょでなければ生きていけなかった女のやるせなさ、人生もヘチマもない、浜辺をさすらい、世間の波間をただよって死んでいっただけの女。あわれとか、せつなさという言葉すらおいつかない。「甘い生活」は「道」の反転である。生活に膿んだセレブの令嬢もあでやかな大女優も、もめごとばかり起こしている夫婦も、うわべをとりつくろいながら心の闇のドン底で生きる夫も、トレビの泉の深夜の水浴びも、マドンナを見た奇跡の子供たちも、フェリーニは彼の映画世界の大道芸とその芸人にしてしまっている▼登場する女3人に共通項がある。島でも買える大富豪のお嬢さんマッダレーナ(アヌーク・エーメ)に記者のマルチェロ(マルチェロ・マストロヤンニ)が言う。「あなたは大金持ちだ。何でもできる」。女は答える「わたし自立もできないのよ。胸を張って生きるにはパワーが要る。セックスするとパワーが湧いてくるの。愛が力をくれる」。マルチェロの婚約者エンマは教会で「マルチェロは変わったわ。もう愛してくれていない。聖母様、わたしの本当の願いは彼が愛し続けてくれることです」。女優シルヴィア(アニタ・エグバーグ)「なにもかもうまくいかないの」。この3人はすべて欠損感のなかにいる。金もあり地位もあり恋人もいる、それぞれの女が不安と物足りなさをマルチェロにうったえているのだ。マルチェロは狂言回しのごとく女たちの間を回遊し、マッダレーナにいわせると「存在より遠い所」にいる。いい加減で冷酷な現実に対するフェリーニの苦々しさが頂点に達するのは、言い古されているがラストの美少女の声がマルチェロの耳に届かないシーンだろう。現実という軽薄さに首までどっぷりつかったマルチェロには、清らかな少女の呼びかける声など届くはずもないのである。この映画は「道」と同じで、ひとつも、どこにも甘さなどないのだ▼マルチェロ・マストロヤンニのイタリア男の面目を発揮させた最高のシーンは夫婦喧嘩の言い争いだ。マストロヤンニは「昨日・今日・明日」「ひまわり」で喧嘩の名シーンをいくつも作っている。本作の壮絶なやりとりも加えたい。エンマ「アンタは人を愛せないエゴイストよ。女を口説くのだけが仕事よ」。マルチェロ「僕の不幸は君と会ったことだ。出て行け。二度と現れるな」「こんなに愛しているのよ。命を捧げて愛してくれる女をあなたは手に入れた。それなのにいつも不満顔でいらだっている」「君のエゴだよ。君の貧しい理想だ。まるでミミズの人生だ。君の話題は台所と寝室。君の理想の男は人生の落伍者だ。攻撃的でしつこい母性愛などごめんだ。愛じゃない。それは愚かさだ。君と別れてひとりになりたい」「いやよ。別れないわ」「呪ってやる」マルチェロはエンマを車からひきずりおろし発車する。深夜の街道に置き去りにされたエンマ。彼女はあわてるふうもなくどこかに歩き出すでもない。夜明け。遠くからエンジンをふかして近づく車。マルチェロだ。エンマは迎えにくるのがさも当然のように乗り込む。車は白み始めたローマ街道を走り去る。これってフェリーニが尾骨に残していた、イタリア映画ネオ・リアリズモの尻尾でしょうか(笑)。

Pocket
LINEで送る