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特集「ザ・クラシックス」

2015年5月18日

特集ザ・クラシックス 上海から来た女(1977年 犯罪映画)

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監督 オーソン・ウェルズ
出演 リタ・ヘイワース/オーソン・ウェルズ

オーソンとリタ 

 オーソン・ウェルズとリタ・ヘイワースはこの映画の撮影時は夫婦で、公開したときは離婚していました。オーソンは映像の天才と認められながら、性格に圭角がありすぎ独断専行が多く、監督した映画、たとえば「市民ケーン」など今でこそアメリカ映画の傑作とみなされていますが、当時は一般受けせず興行的には惨敗でした。続く「偉大なるアンバーソン家の人々」も本作も「マクベス」もさっぱりファンの支持を得られず、監督業から遠ざかり、存在感のある怪優としての出演が多くなっていきます。不入りが続いて映画製作の資金を捻出するため、低コストで作ったのがこの映画だとされます。オーソンの映画は難解で癖がありすぎると言われていました。独特の言い回しを多用するセリフや、撮影の大胆な手法は、ぬるま湯的な表現とはかけへだたっていたから、だれでも彼の作風にすぐなじめるというものではなかったでしょう▼本作ではいろんなことが際立っています。オーソンは190センチの大男だ。リタも背の低いほうではないから、それはそれでおさまりがいいのですが、どことなく「美女と野獣」ふうである。オーソンは妻の気品と美貌を重々承知のうえで、だれもみたことのないリタ・ヘイワースをつくると豪語。トレードマークだった豊かな赤毛をブロンドに変え、ばっさり切り落として少年のようなショートカットにした。リタを取り巻く男優たちをオーソンは計算づくで、背の低い、風采のあがらない男性たちにしており、だからリタは群鶏の一鶴のごとくきらびやかな光彩を放っています。映画はマイケル(オーソン・ウェルズ)の一目惚れから始まります。夜の公園を馬車でいくエルザ(リタ・ヘイワース)を見て、ふらふらと近づいたマイケルは、馬車と並んで歩きながら「タバコはどうです」と話しかける。エルザは拒否せず「吸わないけどいただくわ」と受け取り、ていねいにハンカチにくるみバッグにおさめる。見送った直後暴漢に襲われたエルザの悲鳴をききマイケルがかけつけ、野郎どもをブチのめした。ふたりは好意を持ち合う。マイケルは水夫だ。リタの夫アーサーはセレブな辣腕の弁護士で豪華ヨットを持ち、カリブ沖を回遊しサンフランシスコ湾に操舵する船乗りを探している。マイケルが雇われることになる。この航海にアーサーの友人グリズビーが加わる。簡単にいえばマイケル、エルザ、アーサー、グリズビー4人の殺人劇である。殺人劇といっても4人であるからどうせ犯人はすぐ割れる、とバカにしたものでもないのだ▼横道にそれますが、オーソン・ウェルズが監督した映画は入りが悪く、資金繰りは自転車操業といってもよかったが、彼は気さくな人柄で会話にはユーモアがあり、監督より演技にうるさい女優たちが、なぜかこぞって出たがった。マレーネ・ディートリッヒ、ジャンヌ・モロー、ロミ・シュナイダー。ディートリッヒなんか「オーソンが困っているならギャラはいらないわ」と気前のいいことを言って「黒い罠」に出演した。オーソン・ウェルズとは玄人受けする映画作家だった。彼のセンスは一時代早すぎたのだろう。カフカの「審判」の映画化なんかみていると、ミヒャエル・ハネケの「城」が先取りされ、しかもよりいっそう金属的な、幾何学的な映像の美しさに幻惑される▼映画会社は本作のとき、すでにオーソンの監督術に疑問をもち、2時間の上映時間を90分にするなど、本来の仕上げをズタズタにしたのちの公開となった。だからとはいわないが、筋運びに唐突感があるのは否めない。リタは宿命の女、いわゆるファム・ファタールを演じるのだが、彼女が男をだまそうとしても、男が(喜んでだまされたがっているのとちがうか)などという疑いが見ていながら生じてしまい、リタが極悪非道の悪女にひとつもなってこないのである。こんなきれいでやさしい女が(事実リタが演じると、情があって寛容で抱擁力に富む、そんな女になるのだ)犯罪者だと言うのなら、ほれみイ、やっぱり男のほうが悪いのや~と思った男性の観客は少なくなかったはずだ▼オーソンはマジックと虚構が大好きだった。真実をより真実に思わせるトリックや技術にはまりこみ、映画づくりにアイデアを駆使した。この映画では遊園地のクレイジー・ハウスで、白い長い滑り台を猛スピードで滑り落ちていくマイケル、鏡の間の重層する映像、水族館のガラスの壁をかすめる巨大な怪魚、現実と妄想がトリッキーに交錯するシャープなモノクロの映像。と思うと目の覚めるようなリタのクローズアップで観客は現実に帰る。ゴシックふう幻惑的シーンを引き回され、妙な気分になりかけたところに女神が現れるようなものです。でもこの女神は陰気なワルだったのね。だからというか、リタにそぐわないこの映画は当たりませんでした。美女が死んで野獣が残るのは面白くなかったのです。リタっていい女…そう思い込んだ素朴なファンこそ、いちばん手厳しい批評家だったとしかいいようがないです。

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