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特集「ベストコレクション」

2015年6月6日

特集「水無月6月/ベストコレクション」ニンフォマニアック(2013年 社会派映画)

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監督 ラース・フォン・コリア
出演 シャルロット・ゲンズブール/ステイシー・マーティン/ユマ・サーマン/ミア・ゴス/ステラン・スカルガルド

色情狂の自分が好きなの

4時間の大作です。取り上げるのは主要人物4人にしぼりました。ヒロインのジョー(シャルロット・ゲンズブール)、若い時の彼女を演じるステイシー・マーティン、ジョーと浮気する男の妻H夫人(ユマ・サーマン)、ジョーが後継者として養育した少女P(ミア・ゴア)です。コリアの代表作である「ダンサー・イン・ザ・ダーク」は、移民である貧しいシングルの女性が、失明する息子を助けるためにすべてを捧げ、愛と自己犠牲の上に幸福がなりたつという、身もフタもない映画でした。本作は違います。ジョーは反省もしなければ自己犠牲など足蹴にします。生まれつきセックスが好きである、成長して自分は色情狂(ニンフォマニアック)だと自認する。過剰なセックスの要求に夫は匙をなげ「虎を飼うには餌が必要だ。キミは虎だ。餌を与える相手を僕以外にも探してくれ」と頼む。ジョーは「別の男とセックスしてもいいということ?」と念をおす▼通常の行為で満足できなくなったジョーは、過剰なセックスのため性感が麻痺し、いくらしても感じなくなる。ジョーは違法セックスセラピストの部屋でサドマゾ行為にのめりこむ。乗馬用ムチでジョーのお尻を叩くときときたら、スカートが裂け皮膚が赤くなり、さらに血が滲み傷口が開く、というところまで映す。とどまるところを知らないジョーの過剰ぶりに、恐れをなした夫は子供を連れて去る。ジョーは勤務先の上司から「あなたの行動に批判が出ている」と忠告を受け、セックス依存症のセラピーを指示される。上司は本気で心配しているのだがジョーは上の空である。セラピストが「セックスの誘因との接触を排除しなさい」と教えたので、ジョーは鏡を外しとんがったものを隠し、ほとんどがらんどうになった部屋で暮らす。でもある日宣言する。「わたしたちはみな一緒じゃない。わたしは自己正当化のファックやペニスの拒絶などしない。あんたたちは男だろうとゴミだろうとただ突っ込みたいだけ。あんた(セラピスト)の言っていることなんか社会の道徳警察と同じ、ブルジョワを安心させるために、この世からわたしの卑猥さを隠すのが務めよ。私は色情狂なの。そういう自分が好きなの。女性器が好きなの。淫らで卑猥な欲望が好きなの」そう言って治療をやめてしまう▼ジョーは自分が性的阻害者であることがわかっていた。ジョーは裏社会の取り立て屋になる。男の性行動を知り抜いているジョーは、巧みに男の弱みをつき、回収率抜群の実績で上司の信頼を得る。ジョーはしかし若くはなくなっていた。後継者の育成を進められ、親がいないPという少女に目をつける。口数が少なく控えめで、家庭と家族と自分の耳の形がかわっていることにコンプレックスを持っていた。バスケットが好きなPの試合を観に行き、応援してやり、話をするようになり心を開かせ、いっしょに住むことにした。妙な時間に仕事にいくジョーにPはなにも聞かなかったが、なぜバスケの試合をみにきたのかとジョーにたずねた。ジョーは自分の仕事は違法だがパートナーを探していると打ち明ける。「わたしの家族は違法ばかりよ」とPは笑い、つぎの仕事に連れていってくれと頼んだ▼ジョーが長い間忘れていた「あのいやしむべき感情が再び帰ってきた」のはPとの関係が変わったからだ。Pは友情ではなく愛を交わすパートナーとしてジョーを選ぶ。母娘のような歳の差だが、ふたりの関係は充実していく。しかし「あの日Pはでかけるときわたしにキスしなかった」ことがふとひっかかったジョーはPの仕事先に行く。Pが取り立てに行った男がジョーのかつての夫だった。Pは6回分割払いの回収を月々取り立てに通っているうち男とできたのだ。ジョーは男とPが家から出てくるのを待伏せ、拳銃をつきつけ撃った。弾は出なかった。男はジョーを殴り倒し、Pはジョーをあざ笑い、ジョーにまたがりおしっこをひっかける。コリアの演出における本作の特徴は、性器の拡大露出の映像がバカバカ出てくること。このときもご丁寧に陰毛がぼやけるほど接近する。悪趣味にホドがあるにしても、おしっこよりさらに悪趣味は、Pをここまで性悪ガキにしてしまうコリアの「女いじめ」のほうだろう▼ユマ・サーマンのH夫人もぶっ飛んでいる。ジョーはある日だれか訪ねてきた気配にドアを開けた。夫のあとを追ってH夫人が息子3人の手をひいて階段を上がってきた。呆気にとられているジョーと夫を尻目に、夫人は部屋に入り込みぶつぶつと「父親のおかげでこの子たちの人生は破滅したのよ。ふしだらなベッドを子供たちに見せてもいい?」もちろん了解など取らず「みんな、見たいでしょ。ここはパパが大好きな場所よ。ここですべてが起きたのね。紅茶を飲みましょう」さっさと自分でいれ「子供たち、今こそ頭をはっきりさせて聞きたいことは全部聞くのよ。二度とこんな連中に会うことはないし、こんな状況も起きないわ。質問はない? じゃわたしから。彼女はたった一日で何人の人生を破滅させられる?」これに対しジョーは「わたしはあなたたちのお父さんを愛していないわ」。H夫人はプッツン。「冗談ならあまりにもむごすぎる」そして「うあーッ」とターザンの雄叫びのような叫びをあげ、力まかせに夫を叩き怪獣のように頭をふりまわし、再び「うあーッ」と叫んで嵐のように部屋を出て行く。ユマ・サーマンの、狂気に片足を突っ込んだ不気味な迫力に拍手▼さて本作の案内役となる中年男のセリグマン。博学の独身男性かつ童貞である。Pの男に殴打され、雪の降る寒い路地裏で倒れていたジョーを部屋にかつぎこんで手当し、熱い紅茶を飲ませて事情をたずねると、ジョーは「本気で聞いてくれるなら」と身の上を話し始めたのだ。ジョーの「天路歴程」である。ジョーは子供のころから性に関心があったが成長とともにそれが異常に肥大し、自らを色情狂と自認して憚らなくなったのは「愛に取り憑かれた世の中に反抗していた」からだ。体ひとつで反社会に打ってでるなど、すごいやつではないか。ジョーの思春期って行き暮れて陰気くさく、精神的閉じこもりだけど(体は開放しているが)どこか憎めないのだ。Pにも裏切られ生きる気力をなくしたジョーにセリグマンは話しかける。「男がふたり、列車のなかで女をあさっていたら非難がましい目で見られたか。男が君と同じ人生を歩んだらだれかそれを責めるか。君が男ならH夫人の物語はとてつもなく凡庸だ。男が欲望にかられて家庭と子供を見捨ててもみな受け入れる。でも女は逃げられない。生涯罪の意識に苦しむ。非難や罪の意識が積み重なり君は耐えられなくなり、男のように攻撃的に振る舞う。君は性による差別に反撃したのだ。差別が君たち女を抑圧し見殺しにしてきた」おお、おじさんカッコいいぞ▼ジョーはそれを受け「依存症から(色情狂という言葉を使わなくなったことに注目)立ち直るのに成功してみせる。精神的にも肉体的にも心の奥からセクシュアリティを排除する。それがわたしの目標よ」「生きる甲斐のある人生か?」「そうやってしか生きられない。どんな困難にも立ち向かうわ。自分の中の頑固さを総動員するのよ。強さも男性的な攻撃性もかき集めて。拳銃が発射されなかったことに感謝したい。人殺しにならずにすんだのですもの。そしてなによりわたしの初めての友人にも。ありがとう、セリグマン」ゲンズブールがあんまりしみじみ言うのでグッときたわよ。セリグマンはやさしく毛布をかけてやり部屋を出て行く▼ここでやめておけばいいのにそれをしないのがコリアなのである。しばらくして、ドアが音もなく開き一物をビンビンおっ立てたセリグマンが入ってきてジョーに襲いかかる。「やめて」と叫んだジョーに「大勢の男とやってきたくせに今さらなんだ!」。ジョーは拳銃の引き金をひく。セリグマンが不発の話を聞き「安全装置をはずさないと拳銃は発射しないんだ、こういうふうに」と外してみせていたのだ。男は倒れジョーは部屋を出て行く。溶暗となってエンド。コリアって監督は、ヒロインをコテンパに痛めつける、救いのない映画にしなければ気がすまないのね(笑)。「ドッグヴィル」もそうだったでしょ。村中の男に強姦されたニコール・キッドマンが、ラストにケツをまくって皆殺しにしちゃうのだけどさ。本作では最初から攻撃に転じたヒロインが新鮮だったのに、結局元の黙阿弥じゃないの、ばか。思春期のジョーを演じたステイシー・マーティン。フランソワ・オゾンの「17歳」のマリーヌ・ヴァクトのときもそうだったけど、フランス映画で時々出現する、ドキッとする異星人のような女優です。どっちも同い年の24歳。ステイシーは7歳から13歳まで日本で暮らしていました。

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