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特集「ベストコレクション」

2015年6月12日

特集「水無月6月/ベストコレクション」フランシス・ハ(2014年 コメディ映画)

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監督 ノア・バームバック
出演 グレタ・ガーウィグ/ミッキー・サムナー

ソフィ、未来の話をして

ノア・バームバック監督の「マーゴット・ウェディング」(2007)のガーリー版。フランシス(グレタ・ガーウィック)は一言で言うとどうしようもないゆるい奴。ニューヨークのブルックリンに親友のソフィ(ミッキーサムナー)とシェアし、あるカンパニーの実習生だが全然芽がでない、でも本人はいたって気楽。ソフィといつもいっしょのベッドで寝る。フランシスが自分のベッドを買ったので、ソフィが眠ったのを確かめて移ろうとすると「どこいくの?」とソフィ。「自分のベッドで寝るのよ」「どうして?」「折角買ったから」「隣で寝て」フランシスはおとなしくソフィの背中にくっついて寝る。ふたりの関係は「わたしたちセックスのない熟年レスビアンのカップルみたい」である▼本作はマンブルコアの代表作です。マンブルコアとは、インディペンデント系のジャンルのひとつで、低予算でガールズや若者の日常をそのまま描く内容が特徴だ。本作も2012年に製作されながら日本では長らく公開されませんでした。ノア・バームバックは「類は類を呼ぶ」という言葉通り「ゆるキャラの哲人」(トわたしが勝手に名づけた)ウェス・アンダーソンといっしょに「ライフ・アクアテック」やキツネのアニメなどをいっしょに撮っています。この映画の脚本を共同執筆した主演のグレタ・ガーウィグは、ハーバード大哲学科に在学中「LOL」に端役で出演したのをきっかけに、マンブルコア映画運動に参加しました。ソフィ役のミッキー・サムナーはイギリスのミュージシャン、スティングの長女。切れ長の目がクールなファッショニスタです。ハーバードの才媛とUKセレブは本作で注目を集め、オファーがあいついでいます。フランシスは「好きよ、ソフィ。たとえわたしよりケータイが好きだとしても」とベッドでソフィにくっつき(自分のベッドはどうなった)「ソフィ、未来の話をして」「また? オーケー。わたしたちはすべてを手に入れるの。出版界のカリスマと有名なダンサーとしてね」「パリに別宅を持つの」「愛人あり、子供なし。大学で講演、いろんな大学から名誉学位を授与」…どこまでもゆるキャラですが、でも可愛いですね(笑)。こんな会話をかわすことができたら、人生はきっとそれだけで豊かになるのです▼ソフィはリサと別の部屋に移るという。「リサが好きなの、ソフィ」「べつに。フツーよ。あなたと離れたいわけじゃない、引っ越すだけよ」フランシスはソフィの紹介であったベンジーの部屋にシェアする。ベンジーは脚本家の卵。フランシスを完全な「非モテ系」だといい「なにもせず半日過ぎちゃった」というフランシスに「ぼくはいろいろしたよ。ベークドサンドも食べたし、ネットでサングラスを3個買った。充実している。さあ、3時だ。飲酒解禁だ」…おもしろいやつでしょ。フランシスのまわりには問題意識があるようでないようで、怠け者かといえばせっせと勉強して夢みる力があって、そのなかででもただいまは収入のためになにかしなくちゃ、というのがフランシス。彼女はカンパニーの役を外され事務職をすすめられたが断り、両親の家でクリスマスを迎え、母校の大学でバレエの講師をするかたわら大学寮の管理人もやる。ソフィは恋人パッチの赴任にともない東京に一時引っ越したが「パッチも東京も嫌い、ニューヨークが恋しい」といって戻る。フランシスの恋愛観は独特だ。「わたしが恋愛に求めるのはある特別な瞬間なの。だれかと同じ部屋にいてお互いが特別な存在だとわかっている。そこはパーティ。どっちも別の人と話しているが部屋の端と端でふと目が合う。嫉妬でも性的な引力でもない。相手が運命の人だとわかる。不思議で切なく、人生は短いけどそこに秘密の世界があるの。他の人達からはみえない、わたしたちのまわりにはそんな次元がある。それがわたしの、恋愛に求めるものよ。人生に、かな」▼フランシスは彷徨のあげく、なんとかダンスの振付師としてひとり立ちすることになった。ソフィは結婚した。フランシスの初めてのダンスの発表会は好評だった。会場にはソフィも来ていた。ふたりは「大親友」だ。フランシスは収入も安定し、ひとりでアパートを借りて部屋を持った。引っ越してきたばかりの初めての自分だけの部屋を満足そうにみて、入り口の郵便受けにいき、表札をつける。フランシス・ハラデイ」と書いたが長すぎて「フランシス・ハ」までしか紙が入らない。まあいいか、と「ハ」までにした。これが映画のタイトルだ。明らかな意思や志があればなおよいが、なくても人は生きていける。なんとかなっていくものなのだけど、目の前を通り過ぎる現実の曖昧さを耐えることって、案外むずかしいことかもしれない。これは自分探しなどの映画ではない。フランシスは自分など探していない。そんなものはとっくにある。自分とは人生とは、かくも享受すべきもので満ちている。フランシス式にいえばそれは「不思議で切なく、他の人からはみえない秘密の次元」だ。ベンジー式にいえば「いろんなことをしたよ。ベークドサンドを食べ、ネットでサングラスを3つ買った。充実している。さあ、3時だ、飲酒解禁だ」の世界だ。それぞれが享受すべきものを享受すればよい。映画はそんな素朴な眼差しを感じさせる。

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