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特集「ベストコレクション」

2015年6月14日

特集「水無月6月/ベストクコレクション」それでも夜は明ける(2013年 事実に基づく映画)

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監督 スティーヴ・マックィーン
出演 キウェテル・イジョフォー/マイケル・ファスべンダー/ベネディクト・カンバーバッチ/サラ・ポールソン/ルピタ・ニョンゴ

限りなくつらい映画

ナーバスなテーマだからとても書きにくい。アジア人や日本人だって現実には差別を受けている、マイノリティとして女性だって長く、制度と文化による差別を受けてきた。だから(差別は)「けしからん」と言ってすむ問題じゃないでしょ。歴史的な事実と悲劇は長く尾を引き、それとどう取り組んでいくかが求められる。もちろんいい映画でしたよ。差別とは一種の病理ですね。一箇所を治療したら治るってものではなく、つぎからつぎ問題を芋づるのように派生し、しかも根絶しない。そんな気が遠くなるような事実を前にして、「いい映画だった」と簡単に片付けるのは、本質が軽くなってしまうような気がする。「それでも夜は明ける」というタイトルに、かろうじて希望の所在に気を取り直すっていうところかな▼よくできているとか、いないとか、ここがいいとかよくないとかの評はする気がしないですね。いえばいくらでもいえますけど、こういう映画にしなければ仕方なかったのだろうなと思うし。たとえば主人公のソロモン(キウェテル・イジョフォー)が選民フェチの農場主エップス(マイケル・ファスべンダー)に「どうしてわたしがニガーをこんなに傷めつけるかって。罰ではない。わたしは自分の所有物と遊んでいるだけだ。こうしている時間がいちばん楽しい。黒人をいたぶる、これ以上気の晴れる遊びはない」とか平然と言ってのける。反面、黒人を財産と考え大事に扱っている農場主フォード(ベネディクト・カンバーバッチ)のところでソロモンは監察官に暴力をふるわれ、半日以上吊り下げられる。フォードが帰ってきてすぐ綱を切って助けてやるのだけど、同じ農場の使用人たちは素通りするのよね。かろうじて水を飲ませてやった黒人女性がひとり。これもね、いまの感覚からいうと「みんな冷たいな」かもしれないけど、黒人を助けるというのは白人社会の掟破りだからとんでもない仕返しがくる。みてみぬふりをするというより、無事でいる自分の立場を維持したければ、同じ黒人が吊るされていても手出しはしない。被差別の側にも相互に監視しあう重層構造がゆきわたっている▼だからこの映画をみながら、もうちょっとで主人公が脱出できるかもしれない、ひどい目にあっている黒人女性が助けられるかもしれないという前提が提示されても、そのつど裏切られるし、彼らはさらにひどい理由のない、命さえ奪われる虐待を受ける、だから(いや待て、喜ぶのは早い、このつぎに不幸が待ち受けているにちがいない、ぜったい裏切られるぞ、なにか罠があるにちがいない)と見ながら思ってしまうのよね。全部当たるのだけど。そんなときにブラッド・ピットがどこからともなく現れ、当時を超越した時代感覚で奴隷制度を批判し、結果的に主人公を地獄から救い出す。いい結果だからごちゃごちゃ言いたくないけど、ここだけ別世界のできごとみたいだったわ▼俳優でいえば黒人を家畜扱いする農場主エッブスのマイケル・ファスべンダーが物の怪じみた怪演です。奴隷のひとりパッツイ(ルビタ・ニョンゴ)を愛人にしている。エッブス夫人(サラ・ポールソン)は女が憎い、夫も憎い。パッツイが隣家に石鹸を借りにいったのは「自分でも臭いくらい臭いがする、体を洗っていないからです、だからこれを借りに行ったのです」と小さな石鹸を示したことが気に入らない。意味も理由もなくただ「黒人が許しもなく勝手にしたこと」が気にくわない。ムチ打ちだ、お前がやれと農場主はソロモンに命じる。「死ぬまで打って」と横から夫人が命令する。ソロモンが仕方なく打つと「手加減しているわ、もっと強く打つのよ、死ぬまで」夫は妻の言葉に煽られ「血が流れ、肉が裂けるまで打つのだ」と大声で叫び、ソロモンからムチをひったくって自分で打ち始める。パッツイは半死半生になる。ファスビンダーとサラ・ポールソンの農場主夫婦に、ほとんどの観客が嫌悪と絶望を覚えるだろう▼だからといってそれですむ映画ではないのだ。問題提議などというおめでたい結論ですまない。どうの、こうのと訳知り顔に喋りちらすことをこの映画は禁じてしまう。行動しなければシコリになって残った重さは軽くならない。それがなんともいえない映画にしている。

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