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特集「神も仏もない映画」

2015年7月4日

特集「神も仏もない映画」アドレナリン・ブレイク(2008年 犯罪映画)

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監督 イアン・デイヴィッド・ディアス
出演 クレア・グース/ドナ・エアー/リアナ・ハッセルマン

悪を主張する女

主演級の3人の女優が、打ち揃って不幸になるという「神も仏もない映画」高ランク入り。3人のうちひとりは娘を殺され自分も射殺され、もうひとりはスチール棚に押しつぶされて圧死、生き残ったひとりは仕事が少しも面白くなく、生きがいもなく、同僚の男にバカにされタフな女に翻弄され、ドツボにはまりこんだままエンドを迎える。こわい女と強い女ときれいな女はでてくるが、もてる女と可愛い女はひとりもいないという珍しい映画。監督はよほどの女嫌いかある種のタイプの女の偏愛家でしょう。ともあれ、ヒロインがあっとういう間に男の額を撃ちぬく、首の骨を折る、拷問する。観客が「あんまりや」なんて止めるヒマなど与えない。ノンストップ殺人マシーンになるのです▼シングル・マザーのタクシー・ドライバー、レベッカ(クレア・グース)は、潜入捜査官。3年前からハリー・マッキャン社長のタクシー会社に潜入した。ただのタクシー会社ではなく「運び屋」だ。麻薬、武器、汚れた金、盗まれたクレジット・カード、乗せる客は汚職警官に殺し屋、資金を洗浄する銀行員。レベッカはマーガレットと名乗り、ハリーの信頼を得て裏の仕事を任されるようになった。レベッカにはひとり娘がいる。離婚した夫は娘を棄てたのも同然、娘は学校でイジメにあい、レベッカは不憫でならない。娘の写真をいつも肌身離さず、目に入れても痛くないほど可愛がっている。ハリーは組織から足を洗い、タクシー会社をたちあげ、ゆくゆくは裏の仕事も全部断り、レベッカと家庭を持つつもりだ。川辺の倉庫が情事の場所だった。帰宅すると娘が殺されていた。頭部に銃弾を打ち込まれ即死である。レベッカは警察に届けるものの、「係の者に代わる」という交換に「待てない」無表情にいいすてシグ・ザウエル9ミリを手に部屋を出る。この銃は武器調達人のアビーが、レベッカに数時間でいいから預かってくれといって、車に放り込んでいったものだ▼レベッカは、自分が運び屋をやることを恨んだだれかが、腹いせに娘を殺したと見当をつけた。まずハリーの姉マーラ。弟のタクシー会社を使って運び屋をする実質的なボス。彼女はレベッカを一目見て(あやしい)とにらむ。弟がレベッカに惚れ込んでいることも気に喰わない。レベッカの娘の捜査に当たったのが女刑事のアビー。上司と関係し妊娠したが、男に棄てられ、中絶するつもりだ。上司のセクハラを訴えても「合意のセックスがセクハラだと?」だれもアビーに同情しない。友達はひとりもおらず母親とも折り合いが悪い。同性におよそ好かれる要素のないアビーと組んだのがクルーゾー警部だ。「男は若い女を好む。女の人生は時間との戦いだな。女もたいへんだな」という考え方の持ち主。彼の視点からすれば、女は若くなければ値打ちがないのだ。そのくせアビーの繰り言をしんみり聞くなど、やさしくも冷徹にもなれないこのオッサンのしまりのなさが、映画のネジをゆるめている▼ハリーの姉、マーラはコワモテ女の代表だが、いかんせん、やることなすこと、この手の女の型通りすぎるスタイルで、女優というよりまるでアンドロイドだ。それならいっそレベッカと派手な銃撃戦でもやって、退場の花道を監督はつくってやるのかというとそうでもない。不本意にもばかでかいスチール棚の下敷きになって死ぬという、壮絶でもなければ悽愴でもなく、ましてドラマチックでもない死に様であった。この監督、ひとつも女優をきれいに撮る気がないみたい。やっぱり女嫌いだわね。娘の死がヒロインの人生を狂わす設定なのに、娘が死ぬまでに時間をかけすぎているわ。おまけにこれほどヒロインが大騒動おこしたあげく、追い詰めた娘殺しの犯人はだれ。え~そんな…といいたくなる腰砕けよ▼ばかくさい映画ですがひとつだけ。本来主人公が殺しまくる設定は、たとえばリーアム・ニーソンの鉄腕パパとか、マット・デイモンのジェーソン・ボーンとか、トム・クルーズのイーサン・ホークとか、主人公が男で、やれ復讐だ、ミッションだ、救出だ、脱出だとなると、殴る、蹴る、首の骨を折る、その結果憎い敵が死ぬ一連のシークェンスは、カタルシスを伴う場合がしばしばです。それにひきかえ女の場合、殺人や犯罪は映画のなかでどう扱われてきたか。あくまでうらみっぽく陰湿ではなかったか? 未練もヘチマもない、切れ味鋭い刃物のような女殺し屋が登場するようになるのは、1990年代にはいってから。レナ・オリンやジーナ・デイビスの、訓練された殺人兵器や情け無用の女たちが創られてきてからです。この時代になって社会はやっと女の悪、それも男の影になって引き立て役にまわらない女の悪を、まともに扱うようになってきました。極端な言い方をすれば、それまで男に罰される「悪い女」はいてもよかったが、悪を肯定し、主張し、男に悪をぶつけ対抗する女など、この世にいてもらっては甚だ迷惑だったのです。そんな文化的な背景を思うと、本作の躊躇なく殺人に奔るヒロインは、充分新しい悪の女像を体現しています。

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