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特集「神も仏もない映画」

2015年7月7日

特集「神も仏もない映画」ファニーゲーム(1997年 ホラー映画)

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監督 ミヒャエル・ハネケ
出演 スザンヌ・ロタール/ウルリッヒ・ミューエ

ハネケの質問

ミヒャエル・ハネケの映画は粗筋やストーリーを、いくら丁寧に書いても意味をなさないような気がする。本作より先にハリウッド版をみたが、そのときも煮えくり返った。登場する白服の男ふたりに比べたら、ハンニバルもジェイソンもまだ人間らしい。彼らに対して残された者はやり返すべき復讐のてだてがあるが、ハネケの映画では根こそぎゼロだ。人が人生にそれを見いだして、生きる勇気を得る「可能性」というものをナッシングにしてしまう。残るのは絶望だけ。この意地悪さに比べたらほとんどのホラー映画のスプラッターにせよ、連続殺人犯の末路にせよ、ここまで観客は不快の奈落につきおとされない。考えてみればハネケの監督第一作「セブンス・コンチネント」でいみじくも自作を評して「こんな家族、いやだろう?」とハネケは親切に解説している。その通りなのだ。いやというしかない、不快で不快でたまらないもの、思わず憤怒のかたまりになるものをハネケは映画にしたかったし、映画にし続けてきた。その最高がおそらく本作だ▼これをわざわざハリウッドでリメイクしたところに、ハネケの執拗な、といって悪ければ思考という作業への執着を感じる。ハリウッドが描く暴力なんかおれにいわせれば子供だましだ、あんなものマンガさ。暴力を見世物にしているだけだろ。英語で作りなおしてやったからよくみろ…そう言っているのと同じで、内容はなにひとつドイツ語版と変えていない。いけ図々しいまでのこの自信をなんという。暴力とは100%他人への冒涜であるというのがハネケのスタンスだ。理由も意味もなく他人の存在を否定する。それを日常の闇から浮かび上がらせたらどんな映画になるか。そのひとつの試みが本作だった。白服と白手袋で現れる殺人鬼は、リゾート地の別荘にやってきたショーバー夫妻、アンナ(スザンヌ・ロタール)とゲオルク(ウルリッヒ・ミューエ)の家に上がり込み、12時間後に君らが生き残っているかどうか賭けをしようという「ファニーゲーム」を持ちかける▼ハネケのたくらみは最初から挑発的だ。卵を4つばかりわけてくれといってやってきた白服に、アンナは快く与える。白服はわざと落としもう4つくれという。アンナはムッとするが、男を早く追い出したいから分け与える。男はまたそれも落とす。どこからともなくもう一人背の高い白服があらわれ、アンナの言葉尻をとらえ難癖をつけ始める。このあたりで観客はハネケのこしらえた泥沼にはまりこんでしまう。考えてもみよう。酷薄非情な殺人鬼は映画史上何人も出くわした、彼らは残忍で手口は残酷、アタマは病気で、でも映画の最後にはテロップで逃亡の途中惨殺されたとか、リンチにあったとか逮捕されたとか、警察は今も追跡中であるとかの字幕が出て、こいつらはいつかきっと復讐されるのだ、刑務所にぶちこまれて死刑になるのだ、罪は罰によってあがなわれるのだという予感を与えてくれた。それをキミおめでたいというのだよというハネケの嘲笑が、本作には響き渡っている▼この映画でハネケは暴力を肯定しているようにさえみえる。無抵抗のまま侵入者のなすがままに侮辱され、子供を殺され、夫を殺され、愛犬を殺され、妻は湖に放り込まれて殺される一家という、設定そのものが、限りない不快感を催させる。防御する、対抗するための取るべき手段をハネケはなにひとつ示さない。示したらおれのいいたい「暴力」が呆けてしまう、示したら「ハリウッド的暴力」になってしまうと考えたのだ。暴力とはこういうものだ、人を蹂躙し、冒涜し、ゼロにし、ツベコベした対応なんかなにひとつ成り立たせないのだ。そこで「君はどうしたい?」…結局観客はハネケのこの質問の前に置き去りにされる。ハネケの映画とは大きな質問であって答えではない。見終わって鮮やかな回答を与えられ、スカッとする心地よい映画の対極にある▼だから観客は考えざるを得ない。思考という本来あやふやでヤワなヒツジを、追い込んで締め上げる猟犬のように、ハネケはわたしたちに思考の緊張を強いる。見たくもない、考えたくもない映画を見てしまったあげく、観客はなかば強制的に、自分がすさまじい不快を感じる正体に向き合わねばならない。これが彼の映画のいちばん腹の立つところなのだ(笑)。映画をみてああよかった、人間とは本来ああでなくちゃいけない、映画はそう教え、感動した、それもいいが、それは作家の考えにフンフンと頷いただけで、君が自分で絞りだした考えじゃないだろ。ハネケはそういうのだ。だがおれの映画はちがう、君が自分でどうしたいかの答えを引きずりださずには収まりがつかない、気持ちが落ち着かない、そう作っているのだから少しは自分で考えてみろよ。自分だったらこの場合こうすると、とりあえず決着をつけておくほうがいい、なぜなら、生きるとは日々の移ろう瞬間瞬間の判断の連続であり、それが君の人生を作るアイテムだからだ…で、この映画のハネケの設問にわたしはどう答えたか。決まっているだろ、全知全能をふりしぼり、白服ふたりをぶちのめすのだ、わかったかハネケ、お前の映画に理屈もヘチマもあるか!

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