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特集「ザ・クラシックス」

2015年7月23日

特集「ザ・クラシックス2」秘密と嘘(1996年 ヒューマン映画)

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監督 マイク・リー
出演 ブレンダ・ブレッシン/ティモシー・スポール/マリアンヌ・ジャン=バプティスト

産み棄てた子とその母

男性の、女性への蔑称は、その逆よりはるかに多彩ですが、もっともポピュラーな呼称のひとつは「オバハン」でしょう。「おい、オバハン」と男が中年女性を呼ぶときの口調、声音、語気に男に生まれただけで優位を与えられた性の傲慢と滑稽さが溢れている、と思える。加えて「中年女」とは男性がもっともあなどりやすい社会的存在である。彼女らの大半は主婦であり、たとえ高学歴にせよその能力を発揮する意欲もなく、べんべんと養われる家庭内従属に甘んじてきた。そのくせ多少の人生経験から一人前の口をきくことがある、そんな連中に個人名などいらぬ、総称する「オバハン」で充分だ…誇張しすぎだとおっしゃるかもしれない。では聞きたいが「オバハン」とよばれて嬉しかった女はいるのか▼ブレンダ・ブレッシン扮する中年の主婦シンシアがまさしく「オバハン」の存在である。彼女はシングルだ。父親のいない娘ロクサーヌとふたり暮らし。近くの工場に勤め「家賃を払える」程度の収入で娘を育ててきた。ロクサーヌは母親に反抗ばかりするデキの悪い娘で、母親が女手ひとつで自分を育ててきた苦労などまったく忖度しない。母親は男にだらしなく、その結果自分が生まれ、風采も上がらず学歴もなく、くたびれたべろべろのブラウスに、しわだらけのスカートをはき、どこひとつ締まった箇所のない体を気だるそうに動かし、他愛ないおしゃべりと家事で毎日をすごす。わが母ながら彼女のみじめな人生に目をそむける。マイク・リーは娘の目を通してこれでもかとばかり、シンシアの精神性をはぎとっていきます。弟のモーリス(ティモシー・スポール)はこれまた姉を遠ざけている。ろくでなしの父親を姉におしつけて自分はホイホイ結婚、いまは裕福に新居をかまえ仕事も順調だ。彼の仕事とはカメラマンだ。家族の幸福を残しておきたいと望む、世の善良な人々や結婚式や、恋人同士を撮る。そのどこにもシンシアの居場所はなかったことを考えると、弟は、姉にはかかわりたくないものの、姉を踏み台に今の生活を手に入れた自分に、罪の意識を感じずにはおれない。表向きは平凡な、しかし心の中のきわめて込み入った重層構造が叙事されていく▼そこへホーテンスが現れる。彼女は同じロンドンに住む検眼師だ。最近両親を亡くした。自分は養子だと7つのときから知っていた。養父母はやさしく理解にとみ、愛情の欠損感はなかった。教育を受け資格も取り、安定した職場でキャリアを築き経済力も身につけた。しかし養父母を失ったいま、どこかにいる自分の生みの母親がどんな女性だったか知りたい。ホーテンスは「実母を探すのもいいが、事実を知ることは必ずしも幸福とはいえない場合もある」と市役所の担当女性から釘をさされる。ホーテンスから電話を受けたシンシアは、頑なに娘の存在を拒否するが、しっかりと根拠を示したうえで、実母に会いたいのは、お金が目的でもないし今後つきまとうつもりもないという、ホーテンスの冷静な対応に安心し会うことにする。ホーテンスが黒人だと知ったシンシアの驚愕は倍加する。ホーテンスはそれがよくわかっている。シンシアはホーテンスの養父母がいい人だったとわかって喜ぶ。「あなたを育て、食べさせ、服を着せ、棄てなかった」と▼弟はロクサーヌの21歳の誕生日に姉母娘を呼ぼうと妻に提案する。姉がロクサーヌを産んだ年も21歳。モーリスは17歳だった。産まれたばかりの姪のおむつを変え子守をした。死んだ母の話をひとつもしない父を、ひどい男だとモーリスは憎んだが、今は言葉にできないほどつらかったのだとわかる。招待を受けた姉は大喜びで行くと、そして友達をひとり連れて行くと答える。それがホーテンスだった。いつも不機嫌に自分に当たるロクサーヌに比べ、ホーテンスはやさしく配慮にとみ、頭がよくてシンシアの話を聞いてくれた。シンシアは自分の心のなかを吸い取ってくれるようなホーテンスの思慮と理解力に、忘れていた人生への信頼をとりもどす▼登場人物はモーリスの家に勢揃いした。ホーテンスが黒人であることに最初はみな、落ち着きを失ったものの、やがてそれなりの友好でその場をとりつくろう。なごやかな雰囲気に気を許したシンシアは、ホーテンスが実の娘であることを打ち明けてしまう。パーティは一挙に暗転、ロクサーヌは母親を淫売よばわりし、ロクサーヌに与した義妹を、シンシアは激情にかられ「自分から父を奪い、弟を奪い、今は娘を奪うつもり」だという、意味深にしてシビアな発言は劇中うちきられる。マイク・リー監督は脚本を使わずその場、その場の空気で俳優に自由に喋らせる方法をとっている。台本なしであるから、途中で話の接穂が消えてしまってもいいのかもしれないが、登場人物たちがうちそろい「秘密と嘘」をめぐって、胸に隠し持ってきた愚痴を、悪口を、怨みをぶつけあうラストまでの大渦巻きは、家族という空中楼閣をふきとばし(家族、家族がなんぼのもんじゃい)という嘲笑がひびきわたる。しかし老獪というか、狷介というか、マイク・リーはスッタモンダの大騒動をひきおこしたあとで場面は一転。明るい日射しがシンシアと、狭い庭の緑のうえにふりこぼれている、光を浴びてシンシアがつぶやく「人生っていいものだね」。できすぎのセリフだという気もするが、観客はケチをつける気にならないだろう。

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