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特集 LGBTー映画にみるゲイ

2015年8月3日

特集 LGBTー映画にみるゲイ134
不機嫌なママにメルシイ(2014年 ゲイ映画)

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監督 ギョーム・ガリエンヌ
出演 ギョーム・ガリエンヌ

ママは恐れていた

親の子離れ、子の親離れを、息子の「セクシャリティの迷走」というコメディ・タッチで描かれる。主人公がいい年をしてノンキに「自分探し」しているなど、実社会の常識からすれば「富裕層の道楽息子」くらいにしか思えない。それをなんとなく自然に思わせ、共感させてしまうのがギョーム・ガリエンヌの絶妙の語りとスタイルだ。抽象的なスタイルという意味ではなく、モロ彼の風采、容貌、声、身長、体重すべてひっくるめた具体的なスタイルだ。ふっくらして小柄で、運動神経ゼロ、マッチョな男に恐怖を感じ、プヨプヨして、全体の感じがプリンかマシュマロみたいな自称「女の子」である。映画は主人公ギョーム(ギョーム・ガリエンヌ)のひとり舞台のセリフで始まる。「ママ、ぼくが好き? ママとぼくは愛し合ってるんだ。母は慎み深く感情を表にださない。欠点は見当たらない。たいした女性だ。でもあるときからママは機嫌が悪い。ぼくが生まれたときからだ。ママは娘がほしかった。でも生まれたのは息子だった」▼ママは末っ子の息子を女の子として育て、ママが大好きな息子は彼女に気に入られようと女の子の真似をする。いや、女の子になってしまう。でも「父はぼくが女になるのを嫌っている。母も悩んだはずだ。父はぼくに男らしさを求めスポーツをやれと言った」でも水泳、乗馬、ボクシング、柔道、レスリング、みんなダメ。ギョームは男子寄宿学校(ギョームがいうにはトルコの刑務所)にいれられる。そこでも態度行動に問題があると校医に診断されイギリスの奥地の男子校へ。ギョームはハンサムな同級生ジェレミーに恋するが、彼にはガールフレンドがいて失恋。クリスマス休暇でフランスの実家にもどり、女性の息遣いの神秘性をきわめようと決意する。身近なおばあちゃん、おばさんの観察から始める。ちょっと考えれば全然説得力のない発想なのだが、もともとギョームという子が、面白い存在である理由は、彼が人なつこく、彼を取り巻く女性たちがユニークだからだ。おばあちゃんは断固とした哲学を持っている「愚痴るな、ごまかすな、知らんぷりするな、横取りするな、自分を正当化するな、わかった?」。おばさんは「男は単細胞よ。最初は尽くすの、トコトンね。モノにしたら尽くすのはやめ。タマをにぎってぎゅっと搾れば勝ちよ」▼ジェレミーに失恋したギョームはママに訴える「ぼくはジェレミーが好きなのに彼はライザが好きだ。自分の髪を噛む癖のあるバカ女だよ。ぼくはどうすればいい?」「幸せは人それぞれよ」「?」「ゲイの人だって幸せになれるわ」ギョームは飛び上がって抗議する。「ママ、ちがうよ。ぼくはゲイじゃない。男の子に恋する女の子だ。レッキとした異性愛だ」。しかしだれもそうは見ない。彼は一念発起、どうせゲイなら一流のゲイを見習おうとルードヴィッヒの居城、バイエルンを訪れる。ダイアン・クルーガーが肛門の洗浄・吸引するというインストラクターになってワンシーン出演している。やがてギョームは女友だちの家で、アマンディーヌに出会う。数カ月後ギョームはママに報告する。「ママ、ぼくは芝居を書く。周囲からゲイだと思われ、自分もそう信じていた男が、ホントはゲイではなかったと気づく話だ」。こころもちママはうつむき「その子も家族も100%ゲイだと信じていたけど、100%ストレートだったってことね。証拠は?」「あえてあげると女性に恋したからさ」ママは悲しげだ。ギョームははたと気づく。「ぼくはずっと母を失望させる恐怖におびえてきた。でもおびえていたのは母のほうだった。母はぼくがほかの女性を愛することを恐れていたのだ」▼一挙に話は結論に。「母に言いたい。アンディーヌを愛しても母への愛は不滅だと。母に感謝を伝えたい。ぼくが女性を愛せるのは母がいたからだ。母のおかげで女性を観察し、話を聞くことを学んだ。それだけでなく母にいいたい。母の慎み深さから言葉の意味を学んだ。エレガンスから振る舞いを、ユーモアから笑いの喜びを、ゆるぎない自信から勇気を学んだ。今のぼくがあるのは母のおかげだ」。まあこれだけ母親讃歌を聞かされたらママは本望でしょうね。たとえ「ママいのち」だった息子が自分以外の女を愛するようになっても。でもね~。繰り返すけどここまで持って回って男だ、女だと騒がないと自分ってわからないもの? いうまい。お母さま、ご子息が自立されてようございましたね。

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