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特集 LGBTー映画にみるゲイ

2015年8月4日

特集 LGBTー映画にみるゲイ135
ホームドラマ(1998年 ゲイ映画)

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監督 フランソワ・オゾン
出演 エヴリーヌ・ダンドリー

欲望のネズミ

フランソワ・オゾンの長編第一作です。彼が31歳のとき。オゾンの発想がとてつもなくおもしろいのです。家庭崩壊を扱った映画とよくいわれるけど、そこがさあ「幻想の貴公子オゾン」(これ、わたしが勝手につけた呼び名です)。崩壊は崩壊でも気色の悪いファンタジック(早くいえば変態チック)にもかかわらずユーモラス、カフカモードの変身、ゲイ、近親相姦、サドマゾという、反社会的・逸脱・アウトサイダー・マイノリティとよびたいものを圧縮して詰め込んでいる。それでいて少しも汚れておらず、清潔で、整然として精巧で、フタをとったときに(うわ~)と驚くお花見弁当のような、エレガンスと色彩にあふれています。ほめすぎの気もしますが、いかにもオゾンの処女作にふさわしいスタートだと実感しました▼何不自由ないプチブルの家庭にある日パパがおみやげに小さな白いネズミを買ってくる。ケージに入ったネズミは人なつこく鼻をすりよせたり、指をクンクンしたりする。ひとりだけママのエレーヌ(エヴリーヌ・ダンドリー)はネズミが大嫌い、捨ててくれと頼むが息子のニコラ、その姉のソフィはネズミ賛成派である。そうそう新入りの家政婦マリアもいる。このネズミは人が「自分の欲望に正直になる」という厄介なオーラを発する。マリアの彼氏のアブドゥも招待された晩餐会で、早速長男が「大切な話がある。ぼくはゲイなのだ」。シーン。ママ「孫ができないわ」。ソフィ「ママ、わたしだっているわよ」。姉は母親の愛が弟にばかり注がれていると批判的だ。父は「青春の1ページに過ぎん」。マリアは「アブドゥは体育の教師よ。若い人に接し慣れているから話をしてみたらどう」。ネズミのそばにいたアブドゥはニコラの部屋に行こうとするが、その前にネズミに指を噛まれた。アブドゥもムラムラとしてくる。部屋に入り「どうしてゲイと感じるのだ。僕を触ってみてくれ」ボディ・ランゲージの話し合いになり、「心配ありません、すっかり彼は落ち着きました」とアブドゥは家族に報告。ママは胸をなでおろす▼つぎはソフィである。ネズミを見つめたソフィはセックスしたがる彼の手をはらいのけ「わたしの叔母はレスビアンで10年間、女と暮らしているわ。触らないで。アンタは犬と同じよ」呆気にとられる彼氏を尻目に窓から飛び降り半身不随となる。数カ月後、家の中はすっかり変わってしまった。マリアは傍若無人、家事を放棄し車椅子のソフィと戯れニコラはスポーツに夢中。研究会と称する妖しげな会合に集まるのは筋肉ムキムキの男たち。ソフィの彼氏は鎖で縛られ、首をのばしてソフィを舐めるがどっちもいかない。彼らのセックスは不毛に陥る。ソフィは母親に「パパはゲイよ」「なんということを。ゲイでない証拠はあなたたちよ」「2回しかやらなかったってことよ」。息子は乱交パーティ、母親はある夜ネズミを見つめながら「対話、愛情、やさしさ」と唱えつつ長男の部屋にいく。このネズミは人を発情させるのである。「ママ、こんな時間にどうしたの」と息子。「お前を治しにきたの。息子に愛を捧げるのよ」▼姉と弟がバスルームにいる。弟は素っ裸になって姉を風呂にいれてやり、姉は弟に体を洗わせながら「ママとはどうだった?」「最高だ」などと会話する。パパもネズミオーラに感染する。ネズミを凝視していたパパはネズミをチンして黒焦げに、まるごと食べてしまう。外出先から帰った一家は、パパが巨大ネズミに変身しているのを見る。パパネズミに襲われ右往左往しながら殺してしまう。パパはゲイなのにそれを抑圧してもっともらしく生きる自分がいやだった、家族は彼にとっては社会的に体裁を整える仮面だった、妻も息子も娘も自分を窒息させている元凶だ、それならいっそ(ええい、こうしてやる)とネズミつまり「欲望の権化」はパパに襲撃させたのですね。こんなまがまがしい映画ですがラストはオゾンの「ブラック度」が晴れやかなまでに冴え渡ります。家族そろってパパの墓に詣でる。告別の辞を述べるのが、ン? 腕を組むカップルが組み変わっている。アブドゥとニコラ、ママとマリア。墓碑銘はこうだ。「愛する夫に/愛するパパに/時はすぎ思い出は残る」。ママが言う「さあ、お茶でも飲まない? カフェがあったわね」世はすべてこともなし。家族が去った墓石の上に、どこからかちょろちょろと白いネズミが現れた。

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