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特集 LGBTー映画にみるゲイ

2015年8月5日

特集 LGBTー映画にみるゲイ136
ニューヨークの巴里夫(2014年 コメディ映画)

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監督 セドリック・クラビッシュ
出演 ロマン・デュリス/セシル・ド・フランス/サンドリーヌ・ホルト

ダメ男、でもいい男

変われば変わるものね。スペイン、ロシアと舞台を移したセドリック・クラビッシュの青春三部作の完結編。前二作の主人公、軟弱を絵に描いたようなダメ男・グザヴィエ(ロマン・デュリス)も40歳。息子と娘に恵まれ、パリで妻のウェンディとともに平安に暮らしていた。作家としてもなんとか独り立ち。そこへスペイン留学時代からの親友、ゲイのイザベルから頼まれ、精子を提供したことを妻に知られ一挙に不穏な雰囲気。ニューヨークに出張した妻は帰るなり「出会い」を告白し、子供ふたりを連れてニューヨークに行ってしまう。にわかヤモメになったグザヴィエに、妻は子供をセレブの学校に通わせたいと連絡してくる。制服を着るような学校は大反対とグザヴィエは激怒。めでたく妊娠し、恋人ジュー(サンドリーヌ・ホルト)と暮らすイザベルを頼ってニューヨークに渡った▼この映画、今回も相変わらず「ダメ男」満開のグザヴィエが売りですが、ロマン・デュラスがじつにいい男になっているのよ。「スパニッシュ・アパートメント」からざっと10年、ナンパばかりして、歩く生殖器みたいだったグザヴィエが、「ロシアン・ドール」でも煮え切らぬまま「女はコンマ以下の存在」などと発言し、イザベルの恋人からブン殴られるとか、ほんと冴えなかったのだけど、このたびダメはダメなりに人生には裏も表もあり、日の当たる面だけが人生じゃないのさ、なんていう中年男の渋い重層感を感じさせるのよ。ジューの紹介で、ニューヨークのチャイナタウンに部屋を借り、近所の中国人の娘と偽装結婚してビザを取り、子供たちに会いに行く。妻の再婚相手はマンハッタンの一等地にマンションを構える堂々たるサクセス男子ジョン。背が高く金髪碧眼のゲルマン系イラストから抜け出たようなハンサム・ガイ。彼と並んだら、背は低い、体格は貧弱、無精髭は汚らしく小説は売れない、もちろんニューヨークで彼の書いた本などだれも知らない、というグザヴィエなのに、目いっぱい背を伸ばし、胸を張ってジョンとしゃべり、しょぼいことはしょぼいなりに、そんな自分をきちんと認めごまかそうとしない。なんとなく彼が男らしい、いい男にみえてくる▼いちばん変わったのはイザベルである。無事出産を終え、ベビーシッターを募集したところ、すっかりその娘が気にいってしまった。イザベルというのは硬派の女で、ヤワな関係はつくらなかったはずが、恋人と10年も順調な仲が続くと、浮気もするのね~。グザヴィエとは「男同士の親友」と自他共に認め合っている。「いい加減にしろよ、ジューがいるだろ」と忠告するグザヴィエに「ジューには関係ない。ただの浮気」だといい、グザヴィエの部屋を貸してくれとか、ちょっとのあいだ子守をしておいてくれとか頼む。そのたびグザヴィエは助けてやるのだったが…。移民局監査官が、結婚を申請したふたりが本当に同居しているかどうか、抜き打ち訪問で来ることになった、おまけに部屋を貸しているジューは大家として立ち会うことに。つまり、目下グザヴィエの部屋で愛を交わしているイザベルの現場に、関係者一同そろって踏み込むことになったわけ(笑)。これは「スパニッシュ・アパートメント」のオマージュですね▼もうひとつ変化があったのはゲイの扱いです。前二作でもイザベルはゲイですが、パートナーとの立ち入った関係(たとえばベッドシーンとか)は、映像にならなかった。今回は大胆ですよ。イザベルはベビーシッターに「ゲイの女は初めて?」すっぱり入り込む形をみていると、もはやカムアウト云々が、この10年の間に過去のものになりつつあることを思わせます。ジューのサンドリーヌ・ホルトは「Lの世界」の謎のギャンブラー。セシルも長身ですが彼女よりさらに身長があり、ちょっとミステリアスな美人です。ジューが来るとわかって飛び起きたイザベルは、ベビーシッターとともに窓から全裸で脱出、屋上に逃げて、架けわたした洗濯物を失敬するシーンは、監督のコメディ感覚がよくでていました。こういう場面もあります。グザヴィエは言う「ぼくは40歳。失敗続きの人生だ。神を信じない者が頼れるのはドイツ哲学しかない。ショウペンハウエルは人生とは刺繍だと言った」そこでショウペンハウエルが現れ、グザヴィエのベッドの隣に腰をおろし「人生の前半には刺繍した表側を見ているが、後半は布の裏側を見ることになる。美しくはないが、つながり具合がわかり勉強になる」。難問につきあたったグザヴィエの隣に現れたのはヘーゲル。彼がいうには「わたしは精神現象学を書いた。すべての無は存在から生じる無である」真面目くさったグザヴィエとヘーゲル。なんのことかわからないまま、笑っちゃうのよ。三部作の最後を飾る映画になってよかったです。

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