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特集 LGBTー映画にみるゲイ

2015年8月20日

特集 LGBTー映画にみるゲイ151
セクシャリティ(2006年 ゲイ映画)

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監督 ダニエル・アグネロ
出演 クリスタナ・ローケン/ダニエル・アグネロ/デヴィッド・J・オドネル

耳と耳の間にあるもの

主役級の3人が監督、脚本、主演です。ヘタ打つとインディーズ系のおもしろくない映画の典型だな、と思っていたらやっぱり。クリスタナ・ローケンは嫌いじゃないだけに残念な限りだわ。ダニエル監督にしても低予算ではあるし、お金はかけられないし、友達でも恋人でも、だれでもいいからよほどでない限りスクリーンに出てもらおうと決めたのかしらね? テーマは3人ともにつらい過去があること。女性カメラマン、ゼファーは12歳のときから義父に性的虐待を受けた。拒否すると「お前の代わりに妹とやる、それでもいいか、妹がかわいそうだろ」という義父のいうことを聞いた。ゼファーが知り合った詩人志望の女性エリー(ダニエル・アグネロ)は幼女のときから母親に虐待された。エリーの恋人チェイス(デヴィッド・J・オドネル)は、事故で弟を死なせ、それ以来父親が自分を憎んでいると信じている。チェイスは拳銃自殺する。エリーはオーバードースで病院に運び込まれ死ぬ。ゼファーはどうなるのだろう。絶望しかない人生だろうね。ことほどさようにこの映画は暗いのである▼ゼファーは繊細なエリーに惹かれていく、とDVDのジャケットにある。エリーは詩をかくほどの感性だから鈍感じゃないと思うけど。三人三様に過去のトラウマがおおいかぶさっている。こう言ってしまうと身も蓋もないのはわかるけど、現実の人生ってけっこう重いものだと思うのよね。彼女ら若くてみな頭もよくて、そんなに性格も悪くなさそうなのに、仕事はなにをしているの。だってこの映画、彼らが毎日ヒマで仕方ないみたいな映し方だわ。まるでトラウマの餌食になってくださいと生贄をさしだしているようなものね。ゼファーは「エリーの壊れやすいところが魅力ね」なんて言っているこの甘さ。彼女のアタマ壊れたら面倒みてやるのかよ▼ああだ、こうだと言いながら3Pに及ぶのだけど、このシーンの撮影がまだるっこいというか、上やら下やらになるのだけど、最初に男がそそくさとベッドから離れる。面白くないみたいね。で、女同士は盛り上がるのかといえば、あんまり気がなさそうなのね。そう見えるのよ。だって服はなかなか脱がないし脱がそうともしないし、あんな薄物一枚やそこらにモタモタするのだからきっとやる気がないのでしょうよ。トドのつまり、ローケンはTパンティ、上半身はトップレス止まり。ダニエルは…どうだったっけ。なにか着ていたけど、忘れたわ。彼女はブロンド・長身のローケンに比べたしかに小柄だし目立つ容貌ではないけど、女優ってドンガラだけで勝負するものじゃないでしょうよ。小柄なペネロペ(クルス)がベッドシーンで光彩を放つのは、裸が堂々としているからよ。3人は傷を舐め合うにせよ、ドラッグをやるにせよ3Pにせよ、陰々滅々で救いがない。救いなどなくてもいいですよ。死ぬなら死ね、生きるなら生きろ、でいいと思う。それこそわたしたちの日常にある現実だと思う。でも映画に必要なのは現実の模倣でも縮小でもなく、アート(詩情)だ▼劇中新年を祝うパーティが開かれ、数人の男女が集まる。ゲイもバイもいる。下心ミエミエの男が女同士に近づき、別の部屋で新年を祝おうと誘う。女のひとりが言う「なにがあってもお断りよ」もうひとりが言う「あなたとはありえないの。あっち行って」。こんな元気のいいシーンがもっとあればこの映画はおもしろくなったのに(笑)。ローケンはゲイであることを公表している。それによって役が限定されることに恐れはないかという質問に「恐れのなかで生きていたら自分を表現することができない。結果的に自分を抑えつけることになるから。それに結婚生活について真実を答えないのはフェアじゃない。彼女(恋人)といっしょにいるところを見られてあれこれ陳腐な噂をたてられるより自分から言うほうがいい」。両脚の間(性器)にあるのがセックス、耳と耳のあいだ(大脳)にあるのがセクシャリティと言ったのはカルデローンだったか。本作に彼女は制作総指揮として参加した。かなりの理論派だと思える。この映画がどれだけの反響をとったかはわからないが、すべて次作への期待値としよう。

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