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特集 LGBTー映画にみるゲイ

2015年8月30日

特集 LGBTー映画にみるゲイ161
O嬢の物語(1975年 ゲイ映画)

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監督 ジュスト・ジャカン
出演 コリンヌ・クレリー

着衣の男と裸の女

監督が「エマニエル夫人」のジュスト・ジャカン、原作がポーリーヌ・レアージュ。彼女のペンネームがドミニク・オーリー。ドミニクはソルボンヌ大学卒業後、パリ有数の出版社ガリマール書店に勤務。女に性愛文学は書けないと言ったジャン・ポーラン(ドミニクの雇い主であり恋人)が間違っていると証明するために本作を書き、本は大ヒット、莫大な成功を収めました。セックスの描写が露骨だと告発されましたが、読者の求めるものだったのだから、仕方ないよね。ヒロインは女性写真家のO。彼女の恋人であるルネがOをとある城館に連れてくる。タクシーの中で「下着を取れ、パンティを脱げ」と指示し、スリップの紐を切って前をはだけ、扉をノックして出てきた者の命令に従えと言う。Oは黒い布で目隠しされ後ろ手に縛られ、首輪をつけた若い美女たちに丁寧にエステされ、Oを取り巻いた3人の男たちの前に連れだされる。男たちは口々に「ムチで叩き涙を流させることが必要だ」などと言い、その通りにしたあげく輪姦する。よくまあ女がこんなバカらしいこと書いたな、と思いますが、短気を起こさず見ていくことにします▼本作で使われる頻度の高い言葉。「従属」「服従」「従順」「所有」。O嬢とは男が女に(かくあれかし)と望む倒錯の権化なのか。Oのセリフを聞いていると呆然とするよ。さんざんムチで叩かれたあと息も絶え絶えにOはルネに「耐えたわよ。満足した?」。城館のなかで女たちは全裸に薄着をまとうだけ、男の要求があれば即その場でできるように、というのだ。いやなら帰ってもよいといわれてもOは帰らない。なんとなればルネが変態プレイを好むからである。「Oは恋人に関わるものはすべて好んだ」とナレーションが入る。城館を出たOは写真の仕事に戻るが、モデルのジャクリーヌに惹かれ彼女が欲しくなる▼いっぽうルネはステファンをいう男を紹介する。有名人で博識という設定のわりには全然冴えないチンケなおじさんである。大きな屋敷には常時、7、8人女がうろうろしていて、食事はスケスケのシールスー一枚まとっただけでテーブルに着く。ステファンから選ばれるのは随分名誉なことらしいのだ。Oは不服従の罰として気絶するほどムチでうたれる。あげくのはてに所有の印だという、ステファンの頭文字を焼き印で腰に捺される。牛みたいである。でもOは言うのだ。「館での試練の数々はすべてルネへの愛、愛する人を得る手段だった。試練を経て強くなれたら彼を征服できるはずだ」…もはやどうでもいいけど、そうそ、ジャクリーヌはどうなった。ハイ忘れたわけではありませんというふうに、突如スクリーンに現れる。Oはルネと、ジャクリーヌを城館に連れて行き調教すれば従順ないい女になるなどと示し合わせている。Oを愛しているジャクリーヌにすれば迷惑も甚だしいが、原作者はいやらしく「男目線」で女を舐めまわす。ステファンは仮面舞踏会にOを連れて行くことにする。鷹の面をつけさせ、全裸のOにガウンを着せ会場に着く。煌々と光に照らされた庭を歩く。Oは立ち止まり、衆人環視の中でガウンを脱ぎ捨てフルヌード。モノローグはこうだ。「彼女は他の世界の創造物なのか。ステファンは堂々としたOを見た。彼女の力に彼は圧倒された」ふうん。ムチでうたれ首輪をつけてひきずりまわされ、さんざん強姦され「堂々としている」で終わりかよ。そう思っていたらラストにかろうじてOの反撃がありました。「もしわたしが辛い試練をあなたに与えたらあなたは受ける?」「もちろん」とステファン。Oは煙管からタバコを抜き、ステファンの手の甲に押し付ける▼原作の出版は1954年でした。女が無我の状況で男に従属する。なにも主張しない、どころか服従に逆らったらむち打ちである。全編これ女性の被虐の快感で貫かれている。Oはジャクリーヌさえ例の城館に連れてきて、ルネとステファンに提供するのである。それと知らないジャクリーヌが城館の中に入っていくところで映画は終わっているが、この映画で支配から脱した唯一の関係がゲイだったことは注目していいと思う。男好みがOの生き甲斐であるから、男対女の構図ではOは男の支配から抜け出せない。せいぜい全裸になって「堂々としていた」くらいの褒め言葉でお茶を濁される。しかし女同士の関係になったシーンではどっちもが裸になる。つまり服を脱ぐ。これは大事なことだ。男が服を着て女だけが裸になって行為するCMNF(着衣の男に裸の女)は、女に屈辱を与え支配下におくコンテンツだった。サルトルに「顔という人間の弱さ」という言葉があるが、裸とはさらに弱い人間の部分なのだ。本作はゲイのシーンだけで、人間のイーブンを主張した映画になっている。

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