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特集「ベストコレクション」

2015年9月11日

特集「秋の夜長のベストコレクション」タクシデルミア⑪ ある剥製師の遺言(2006年 ファンタジー映画)

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監督 パールフィ・ジョルジ
出演 マルク・ビシュショフ

異端の遺伝子

この映画に満ちあふれているグロテスクな美しさと、エロチックな汚らしさに脱帽。のめりこむような変態ぶりが、ラストまで研ぎ澄まされている。性器愛、パーツ・フェチがとどまることなく登場する。ペニスの先端や唇を極端にアップした映像に、たいていのシューレリスムの作品はたじたじとなるにちがいない。だれも正視しなかった、あるいは正視に耐えなかった対象がオブジェになりフレームにおさまり、射精した精液がほとばしった先に満点の星空が広がる。剥製師が無数のチューブを自らの体につなぎ、青い液体が流れ、どこへつながるかもわからぬ曲線に誘導されていきついたところには切り開いた新鮮な筋肉。清潔な赤い肉にサクッと入る鋭いメスが、淫らかつ猥雑な感情を解放する。耽美的サディズムの世界が、静かな室内楽のように映画の底音を作っている▼粗筋は三代にわたる家族の話だ。舞台がハンガリーであることは歴史からみても、この映画に抑圧と支配への強い反撥があることは含んでおかねばならないと思うが、それを考慮にいれなくても本作の独自性は際立つ。祖父のヴェンデルは第二次世界大戦時、寒村に駐屯する中尉一家の当番兵だった。彼は明けても暮れても兵舎の片隅で自慰に情熱を燃やし、中尉の妻と不倫、中尉に銃で頭を吹き飛ばされる。妻はヴェンデルの子をみごもり、産み落とした男児には豚のような尻尾がついていた。尻尾はちょん切られ、息子はカールマンと名付けられて成長し、時はハンガリーの共産主義時代となった。カールマンは国家の人気スポーツ「大食い」の選手となる。国あげてチャンピオンを養成する訓練は過酷である。子供の頃から強制的に食べ物を胃に流し込む練習をし、一定の休憩の間に吐いて胃を空っぽにし、次の練習でまた食べる。食べるという日常の営みまでもが管理でがんじがらめにされ、国代表となれば名誉と威信をかけて競技に臨む。カールマンはスプーンを飲み込むという事故で競技離脱、チャンピオンにはなれず、大食い女性チャンプのギゼラと知り合った。相思相愛の幸福なときがしばらく続いた。しかし結婚式の席でも大食い自慢に余念のないカールマンをよそに、ギゼラは別の男と席をはずす。そして一子ラヨシュを授かった。後年肥大した肉体に埋もれ、椅子に座る肉塊となったカールマンに、息子ラヨシュ(マルク・ビシュショフ)は「なぜ母さんが出て行ったかわかるかい? この脂肪の塊と暮らしたくなかったからだよ。クソだめにいたら自分まで臭くなる。パパは臭いブタだ。ぼくがいなかったらクソもできないくせに。ネコにやるバターはだれが買ってくるのだ!」ネコというのは父親が溺愛している数匹のネコである。彼は息子では失敗したが、ネコを太らそうとバターばかり与えているのだ。息子があびせた罵詈に父は「世界的な大食いのスターをバカにするな。お前なんか死体処理屋じゃないか」「ぼくこそ父さんにはヘドが出る。こんなに尽くしているのに!」▼ラヨシュは父の血を受け継がない、痩せたインテリ男性だった。彼は剥製師だ。いつも工房で孤独に作業し、みごとな剥製を仕上げる。監督がいちばん力をいれているのは三代目の息子の生き方である。異常な父のもとで生まれ育ち、身につけた卓抜した技術によって、自らが生きた証をこの世に残したいと願う。作品の内容をかくも凡々とまとめてしまう行為を、あたかも書き手の敗北と感じさせてしまうような映画なのだ、これは。ラヨシュのかみそりのような容貌。大学の解剖学教室のような清潔な工房。祖父のグロテスクなまでのオナニーも、食べる権化と化した父の欲望も、ラヨシュにいたっては影を潜める。彼の偏愛はもはや宗教に近い。ある日ひとりの客が剥製にしてほしいと持ってきたものがある。それは胎児だった。ラヨシュは黙考する。父に対する激怒のあまり「出て行く、二度と帰ってこない」と工房を飛び出したラヨシュが戻ってきた。ネコどもが細長い血まみれの紐みたいなものをムシャムシャ食べている。パパ、パパと呼びながら入っていくと、父は腹をネコに食い破られ腸を床に露出させて死んでいた。ラヨシュは最後の計画にとりかかる。父と自分自身を剥製にするのだ。父は死んでいるが、自分は生きたまま剥製にするのである▼数日後、胎児の剥製を頼んだ客が受け取りにきた。受付においてあったそれは、緑色の小さなガラス細工の中に浮いていた。宝石のような仕上がりに客は喫驚するが、はて、ラヨシュはどこにいる。工房の奥に入って行くと、この世のものと思えぬからくりが作動していた。ラヨシュが自分を剥製にする一連の動きはこうだった。皮膚に注射針を刺す。皮膚を切り筋肉を裂く、液を注入する、腸を巻き取る、膜を剥がし腎臓、肝臓などすべての内臓を削除し心臓をてのひらに乗せる、最後に刃がすべってきて首を撥ねる。工房に来た客の独白はこうだ。「わたしは機械が素早く動くのを見た。心臓を持った腕は拍動する肉の重みで外側に回る、それがスイッチを入れるとつぎの瞬間彼の首は切り落とされ、さっきまで動いていた右腕を切り落とした。彼はトルソーだ。父や家族は剥製にできても、刃が迫ってきて自分の首が跳ぶ感覚は剥製にできない。それをラヨシュはやろうとしたのだ」…ふうん。忠実にセリフを書いたつもりですが、読み返してもついていけません。情感のある会話があるわけでもなく、ラヨシュにしてもただの、偏執狂的なジコチュー男といってしまえばそれまでだ。しかし人間、世間に向かって、表にださないだけだがアタマのなかで考えること、思い描くことはエッチで淫らで、歪んでいる。ひとりでいたらなにに思い耽っているかわかったものじゃない。だれしもがヒト異端遺伝子を持っている。それを解像した監督の構成力と鮮やか解像度に圧倒されました。

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