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特集「美魔女」

2015年9月22日

特集「美魔女」 ラクエル・ウェルチ3100挺のライフル(1968年 西部劇映画)

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監督 トム・グリース
出演 ラクエル・ウェルチ/バート・レイノルズ/ジム・ブラウン

ウェルチが最高

トム・グリース監督の映画でみたことがあるのは、チャールズ・ブロンソンの「軍用列車」だった。雪をいただくロッキー山脈を走る、軍用列車に起きるサスペンスである。筋書きも悪くはなかったが、なにを覚えているかというと、はらはらと降りかかる小雪を受ける、チャールズ・ブロンソンの顔なのだ。ブロンソンという俳優は冬の似合う役者であると常々思っていたので、このシーンはどんぴしゃり、絵になった。それと同じ理由で、ラクエル・ウェルチは夏、それも非情の砂漠がよく似合うなあ、とこの映画をみながら思ったものだ。いつものことだがあまりに強烈な存在感のため、決して大根ではないのに、演技が二の次に思えてしまう損な俳優がいる。マリリン・モンローがそうだった。彼女は可能性という、莫大な埋蔵量を秘めて死んでしまった。チャールズ・ブロンソンにしたってそうである。本作のウェルチをみていると、つくづくいい女優だと思わずにおれない。炯々と光る野生動物のような双眸、引き締まった唇、一発や二発のアッパーカットではしとめられないがっしり張ったアゴ、乱れるに任せた無造作な豊かな金髪。彼女のことを20世紀最大のグラマーだと言うのはどこまでも男の目であって、グラマーというのにやぶさかではないにしても、人間の女より、よく走るムスタングのような美しい肢体である▼ウェルチは本作のとき29歳だった。ビキニや身体にぴっちり張り付いたコスチュームでばかり撮られてきたが、それが彼女の女優道であればそれでよかったのだ。繰り返すけれど、演技という限られた領域だけが女優のすべてとは限らないと思う。いや、逆をいえば、彼女がいるだけで空気に色がつき、香りが滴るよう存在でなければ、はたして演技とは稼働し、効を奏するものだろうか。この映画のウェルチはほとんどスッピンで、剥きだしの、すんなりした腕や脚に、百姓の野良着をまとって、そのくせセクシーである。風に乱れる金髪に赤いバンダナを巻き、ライフルを撃ちまくるシーンはハンサムでかっこいい。グリース監督の計算づくであろうが、本作に登場する女優はウェルチひとりなのだ。黒人の保安官ライデッカーにジム・ブラウン、酒と女に目がないが頭のいい反乱軍のメキシコ人、ジョーにバート・レイノルズ。でもやっぱり監督が映したいのはウェルチなのだ。最後にヒロイン、ウェルチを殺してしまうのが気にいらないが、たぶん彼はウェルチをべんべんと生かしておきたくなかったのだろう。池田理代子がオスカルと殺してしまったように、監督はウェルチを、ドラクロワ描く「民衆を導く自由の女神」(ルーブル美術館)にしておいてから、殺してしまうのだ▼思い入れもここまでくると、われながら充分であるからして、話題を変えよう。これも「軍用列車」と共通するのだが、自然描写がきれいなのだ。奇勝風景を撮っているという意味ではなく、ありふれた風景が詩的なのだ。本作の舞台はメキシコである。赤い乾いた土と低い山。砂が舞う大砂塵の町。この映画はビークル・ムービーの側面を持っている。メキシコにインディアンの反乱が起きた1912年だ。鎮圧にやってきた政府軍と反乱軍が激突する。ジョーは銀行強盗で稼いだ6000ドルでライフル100挺を買い、反乱軍の武器にしようとする。ライフルを奪われたり取り返したりの争奪戦があるが、ライフルを手にした反乱軍は、政府軍の軍用列車を襲う。このとき屋根のない貨物車両に鈴なりに乗り込んだ兵士たちの目をそらすため、巨大な水桶の下でウェルチが水浴び(薄着のまま)して、兵士たちの目をひき、その隙に乗じて反乱軍が奇襲する。この銃撃戦がクライマックスといってよい。だいぶ横道にそれたが、本作をビークル・ムービーとしたい理由がこの列車シーンだ。砂漠の中に延びる一本の線路。太陽が照りつける砂の荒野。輸送貨物列車は蒸気機関車と、マッチ箱みたいな車両がたった3両ほどの輸送列車が走ってくる。空撮を用い、戦場を右往左往する兵士たち、ばらばらと散らばった戦死者、停車した列車と線路の無言歌のような詩情。ありふれたロマンスがあり戦闘があり、累計的な人物が登場するにもかかわらず、この映画はおもしろい。それを支えているのがウェルチと列車のシーンだといっても、監督は怒りはしないと思う。

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