女を楽しくするニュースサイト「ウーマンライフ WEB 版」

  • facebook
  • twitter
  • line
  • rss
  • ブックマーク

特集「ディーバ(大女優)」

2015年10月8日

特集「ディーバ14」ティルダ・スウィントン
カラヴァッジオ(1987年 事実に基づく映画)

Pocket
LINEで送る

監督 デレク・ジャーマン

出演 ナイジェル・テリー/ティルダ・スウィントン

女子カラヴァッジオ 

ケンブリッジを出て、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーで演劇を学んでいたティルダ・スウィントンが26歳でデレク・ジャーマンと出会った。本作は出会いから7作をいっしょに仕事したふたりの、初めての映画にあたります。ティルダの役は主人公カラヴァッジオの恋人であった、ストリート・ファイターのラヌッチオの恋人である娼婦のレナ、そしてカラヴァッジオの恋人ともなります。この映画の特色としてぜひあげたいのがセリフの格調の高さ。脚本もデレク・ジャーマンですね。死に貧しているカラヴァッジオの回想で映画は始まります。マルタ、シラクサ、メッシーナ、ナポリを放浪し、ここポルト・エンコーレに死の床に臥せった。38歳で死にます。画家としては盛名を馳せたが生活は破天荒だった。盛期ルネサンスから派生したマニエリズムにも疲れがみえはじめた16世紀後半、美術史のつぎにひかえている、バロックの時代はまだ確立されていなかった。バロックへの橋渡しとして今でこそ見直されたカラヴァッジオですが、それまでは単に古めかしい写実的な宗教画として扱われていました。異端の画家カラヴァッジオを世に出す契機として、この映画の果たした役割は大きいと思います▼レナはまあ、ススだらけの真っ黒な顔に汚い服、髪に何ヶ月も洗ったことのないようなスカーフをまいて、ファイトに勝ったラヌッチオにだきつき、見物人の歓呼のなかで熱くるしい接吻。カラヴァッジオがじっと見ています。彼はラヌッチオに焦がれている。その恋人レナに嫉妬しないのは、レナが女というより、子供のように無邪気でラヌッチオと兄妹のように見えるからです。カラヴァッジオは自分の絵の除幕式に、レナも来るようにいいますが、いくらなんでも画家のパトロンである教皇や、銀行家のセレブたちの集まるパーティには気後れする。察したカラヴァッジオはレナにとびきりのドレスをプレゼントする。喜んだレナはすっかりカラヴァッジオが好きになり(今も昔も女って変わりませんね)、ふたりは一挙に男女の関係となります。当然ラヌッチオはおもしろくない。盛装したレナの美貌に教皇の甥シピオーネはくらくら。レナは女としての自分に自信を持ち「わたしは玉の輿に乗るのよ」と宣言。ラヌッチオもカラヴァッジオもお呼びではなくなる。レナをモデルにマグダラのマリアを描くカラヴァッジオにレナは妊娠を告げた。シピオーネの愛人として、今や従者を連れて歩くレナは美しく着飾り、自分も子供も金持ちになるのだと意気軒昂だった。だが数日後テレベ川にレナの水死体が浮かんだ。悲しみに沈んだカラヴァッジオは、レナの遺体を抱いて独白する「見ろ、またひとりぼっちだ。自分の殻の中で。思いをはせても額の向こうは闇だ。暗闇が蝕んでいく。ろうそくのススはふたりを黒くし、人気のない工房を這いまわって、病んだ絵を包む。夕暮れが溶けていく…」▼レナが「玉の輿」になろうとか「金持ち」になろうとか、欲を出さなければカラヴァッジオとラヌッチオに愛されたままでいたか、つまりレナの死は、彼女が分不相応の野心のためだといわれるかもしれませんが、そうでしょうか。娼婦になるか、嫁になるか、妻になって子供を産むか、修道院に行くか、選択肢の限られた女が、自分には魅力がある、自分は美しい、家も食べ物も着るものも、地位さえも、望めば得られるのだ、子供だって産んでやるわよ…女だって人生なんとでもなる、そんな可能性を実感して開き直ったときの解放感と欲望は、たぶん男性にはわからないと思います。汚いターバンを巻いてスクリーンに現れたレナと、フルメイクでドレスアップしたときのレナのギャップがあざやかなばかりに、そのあと「女のサクセス」を許さないでレナを葬ってしまう、社会の無情がきわだっていました。ティルダは顔立ちがクールなので死に顔にはトクですね▼レナ殺害の真犯人はラヌッチオだとわかったカラヴァッジオは、ラヌッチオを刺殺します。ラヌッチオともゲイの関係にありましたが、レナを殺したのは自分たちの愛のためだというラヌッチオの欺瞞を許せなかった。カラヴァッジオは激情型の気性ですし、詐欺まがい、強盗まがいの恐喝などもやりましたが、本作では愛に純粋で別け隔てのない、一途な男として描かれています。ともあれこの件で殺人犯となったカラヴァッジオは4年にわたり、追手を逃れ、イタリア各地を放浪します▼当時にあって男も女も愛し、教会の権力者を利用しながら、自分の描きたい絵を描くことができた、というのは幸運としかいいようがないのですが、カラヴァッジオ自身にそんな自覚はなかった、カラヴァッジオという「おさまりきれなかった男」そして「予見に満ちた男」を、デレク・ジャーマンが詩的に造型しています。彼自身の生きる姿勢と重なったのでしょうね。ティルダはデレク・ジャーマンを師として尊敬し「今もいっしょに生きている」と言う。ハリウッド・デビューしオスカー女優となったが、オスカーは嬉しかったが「独立系の軸足は絶対に変えない」とあっさり。女子カラヴァッジオというべきか(笑)。

Pocket
LINEで送る