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特集「ディーバ(大女優)」

2015年10月13日

特集「ディーバ14」ティルダ・スウィントン
ヴィトゲンシュタイン(1994年 伝記映画)

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監督 デレク・ジャーマン

出演 カール・ジョンソン/ティルダ・スウィントン/マイケル・ガフ

すべてをあるがままに 

破天荒な人ねえ。彼が生まれた時代はどんな時代だったか。ヴィトゲンシュタインは1889年4月26日。第一次世界大戦前夜の、オーストリア・ハンガリー帝国のウィーンに生まれた。これだけでざわめきを感じないではおれない。同時代人をあげよう。アーティストでは画家のグスタフ・クリムト、エゴン・シーレ、作曲家のブラームス、マーラー、指揮者のブルーノ・ワルター、哲学ではバートランド・ラッセル、経済学のジョン・メイナード、同い年のアドルフ・ヒトラー。冒頭少年のヴィトゲンシュタインが「人がときに愚かなことをしなければ、意味あることはなしえない」とノートに書きつけ一族を紹介する。「大金持ちの家庭に生まれ、母レオポルディーネは音楽に夢中、ブラームスやマーラーの歓待に忙しく、子供は家庭教師をつけて放っておいた。長女ヘルミーネは素人画家、グレートルはアメリカ人と結婚、フロイトの患者。ヘレーネの話はしない。兄3人は夭折。行方不明、自殺、自殺、戦争で右腕を失ったパウルはピアニスト。ラヴェルが左手で弾ける曲を書いてくれた。父はいつも会社にいて資産を増やし、インフレのときも大金持ちだった」▼どうみても「フツー」の一族ではない。劇中ふんだんにヴィトゲンシュタインの論考が叙述されますが、脚本がよくできているから辟易しません。たとえば「大切なことは自分を見極めること。孤独とは至福なり」「インテリの雑談に頭を使いたくない。狂っている? 正気にならぬよう、神が見守っていてくれるのさ」「存在することをみな知っている。だがその意味を知らないのだ」。これくらいだとごく普通の知識人だと思えるでしょう。ところがね、問題の突き詰め方が普通じゃないのよ。彼の大脳には針が詰まっていて、頭を働かせば働かせるほど鋭くなって、とうとう自分の頭脳を突き破ってしまったのね。悲しいまでに一途な天才を、ティルダ・スウィントン扮するレデイ・オットリーン・モレルは「なぜそんなに愛されたがるの」とききます。「完璧主義者だからだ」とヴィトゲンシュタインは答えますが、モレルは「わたしはちがうわ」と笑う。この場合のオットリーンは「現実」の代表であり、思考にはまりこんでいるヴィトゲンシュタインの「完璧」が負け惜しみの強がりだとわかっている。事実、紆余曲折のすえ、ヴィトゲンシュタインはたどりついた哲学を「すべてをありのまま認めるしかない」ことと認知しています。オットリーンは一時バートランド・ラッセル(マイケル・ガフ)の愛人であり、ブルームズベリー・グループのひとりでした。裕福な家に生まれオックスフォードに進学するが体が弱く中退、結婚しブルームズベリー地区に転居。ここにチャーチルやヴァージニア・ウルフ夫妻、ヘンリー・ジェームズ、ジョセフ・コンラッドらが集まりました。ロレンスの「恋する女たち」のハーマイオニーはオットリーンがモデルとされています▼本作のオットリーンは、ケバケバの意匠にメイク、極端に戯画化され、真っ赤なルージュの口紅でパクパク口を動かしながらヴィトゲンシュタインを揶揄します。ヴィトゲンシュタインも「ラッセルや庭師とやっている女さ」と彼女を評するのですが、このあたりはデレク・ジャーマン得意の誇張と露悪でしょう。いい忘れましたが、最初から最後までスクリーンは舞台仕様です。画面に出る人物はひとり、ないしふたりに限られ、かれらの独白により、ヴィトゲンシュタインの精神構造が表現されていきます。デレク・ジャーマンの解釈力というか、構成力というか、それが、しちめんどうくさいはずの問題を、惜しみなく考え惜しみなく涙を流し、惜しみなく学び、惜しみなく絶望していきた男の一生として再構築します。彼は兵士として前線に出て二度も勇敢な行動で表彰され、大学に絶望して田舎の小学校の教師になると「教師の仕事はまやかしだ、子供たちはわたしの気を狂わせる、保護者からは嫌われ、わたしは挫折した」。そのくせ子供のうそにさえコロリとだまされ、「ぼくが悪かった」と泣く。ラッセルの序文のおかげで彼の「論理哲学論考」は出版にこぎつけたのに、その序文を読んで「あいつはなにも理解していない」。「語りえないことについては、沈黙しなければならない」という彼の言葉も、ひとつも奇を衒ったものとは思えません。姉はわけのわからない本を書いて」と正直に言いますが、原稿料もとらない、印税も要らんという弟に匙を投げるが、もっととんでもないことをこの弟はする。新しい家の設計がほぼ完成したところで、姉は細部の仕上げを弟に任せた。彼はドアノブや暖房の位置や、あらゆる細部の1ミリの誤差にもこだわり、新邸は出来上がるまでそれから2年もかかった▼ラッセルをバカよばわりして絶交に至ったが、ケインズは、ちょっと傷つけられたら立ち直れないヴィトゲンシュタインのよき理解者だった。失意のどん底で、庭師になるとか世捨て人になるとかいうヴィトゲンシュタインを「満たされた体のぬくもりにかなうものはない。しっかりしろ」と喝を入れる。彼は同性愛者であり劇中ジョニーと呼ばれるパートナーについてこう言います。「ジョニーはかけがえのない存在だ。なぜかいっしょにいるときはそれに気がつかない。それが問題だ。そんな愛が違法とされる世界で正々堂々と生きるのは不可能だ。わたしは3回ジョニーと寝た。いつも初めのうちは罪悪感を感じない。でもあとで恥ずかしくなる」。アイルランドの海岸に住みたいという死期の迫ったヴィトゲンシュタインにケインズは言います。「一生逃げてばかりだ。今度はどこだ、ノルウェーか。世界をひとつの論理にしようという若者がいた。彼はそれをなし、一歩さがって出来栄えを見た。美しかった。不完全も不確実なものもない世界だ。地平線まで続くきらめく氷原。若者は自分の世界を探検しようとした。踏み出したとたん仰向けに倒れた。摩擦を作っていなかった。氷はツルツルで汚れもなく、だから歩けなかった。若者は座り込んで涙にくれた。年をとるにつれわかってきた。ザラザラや汚れは欠点ではなく、世界を動かすものだと。彼は踊りたくなった。地面に散らかったものや言葉は汚れて形も定かではなかった。賢い老人はそれがあるべき姿だと悟った。それでも彼の中のなにかは氷原を恋しがった。そこではすべてが輝き、純粋で、ザラザラの地面に彼は住めなかった。それで彼は地面と氷の間にいて、どちらにも安住できなかった。それが彼の悲しみのもとだ」。ヴィトゲンシュタインという鉱石を、ここまで砕いたデレク・ジャーマンの力技に敬意を。

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