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特集「B級映画に愛をこめて」

2015年10月27日

特集「B級映画に愛をこめて2」
ジャック・メスリーヌ 社会の敵No.1-Part1
(2008年 伝記映画)

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監督 ジャン=フランソワ・リシェ

出演 ヴァンサン・カッセル/セシル・ド・フランス/エレナ・アナヤ

女がわからない男 

セシル・ド・フランスがギャングの情婦、ヴァンサン・カッセルが「社会の敵」ジャック・メスリーヌ、エレナ・アナヤがジャックの妻。これはみて損はないだろうと思うだろう。セシルは「ドミニクの歌」と本作で実在の人物を演じているが、どっちも難しかったとインタビューで言っている。しかしセシルに関して言えば「ドミニク」とは比較にならないほど本作はつまらない。べつにセシルでなくてもいいし、だいいちちっともきれいに撮れていないし魅力的な女でもない。ギャングの相棒で強盗に殺人に、さんざん悪事を働いた男女の二人組にボニーとクライドがいた。映画化された「俺たちに明日はない」のフェイ・ダナウェイの扱い方と、本作のセシルのそれは月とスッポンだな。ボニーにある細密な書き込みと、セシル演じるジャンヌとではまったく質量がちがう。ボニーとクライドも大恐慌時代のロビンフッドとかいわれて囃されたものの、しょせん蜂の巣になって撃ち殺される人生だった。どうもなあ、犯罪者のとりあげかたってどう描いたって所詮犯罪者だ。これらの映画だってまさか彼らを礼賛しているわけじゃないだろ。でも作り手とすればどこかに共感するものがあったのか。あるから映画にしたのだという視点で見ることにしよう▼セシル・ド・フランスは中途あたりからいきなりカフェでジャックと出会いそのまま仕事をともにする。メガネかけて弁護士みたいな顔で出てくる。そういや、エレナ・アナヤ演じるソフィアはスペインの酒場でジャックに一目惚れされるのよね。世帯をもってジャックは一時強盗家業から足を洗うのだけど、兄貴分のギド(ジェラール・ドパルデュー)に、大きなヤマを手伝ってくれと乞われて復帰する。アルジェリア戦争の兵役を終えパリへ戻ってきたとき、ジャックは幼なじみのポールに誘われてギャングの道に入った。ジャックは妻に「女房と仲間とどっちを取るかというなら仲間を取る」なんていうほど連帯が強い。すでに子供もいるのに。この時点で別れるべきだったわね。遠からずそうなるのだけど▼「フランスの社会の敵」と呼ばれたジャックは32回の銀行強盗、4回の脱獄。本作はパート1だけど、パート2では白昼の市内で最後の愛人シルヴィアを乗せた車を運転中、40人の警官に包囲され、ガラス越しに21発の銃弾を浴びて死んだ。普通の家に育ちきちんとした両親に育てられた青年がギャングの世界に足を踏み入れ、一度は堅気になろうとしたが再び裏街道を歩き、どうにもこうにも引き返せなくなる。ジャックの犯罪は途中から犯罪そのものがエクスタシーになる。彼にとって犯罪は罪ではなく、それがなくては生きられない活性剤であり興奮なのだ。女はたまったものではない。ジャックの反社会性が犯罪でしか発揮できなかったことが、あえていえば彼の悲劇なのだろうけど、犯罪者として行くところまでいくしかないと、どこかで腹を決めてしまったから、あとは撃ち殺されるのを待つだけの人生だった。本作でみる限り女を幸せにしようとか、女のために歩み寄ろうなんてこと、全然ないでしょ。ああ、そうそう、逮捕されたジャックとジャンヌが、刑期10年と5年の判決を受ける。でも早々とジャックは脱獄に成功しジャンヌに電話する。ジャンヌは血相を変え「来ないで! わたしの刑期はもうすぐ終わるのよ」ジャンヌにとってジャックはすでに疫病神である。でもジャックは「黙れ、行くといっているのだ」と一方的に自分を主張する。とうとうジャンヌは「終わったのよ、あなたとは」とハッキリ最後通牒をつきつけ幕引きする。無事刑期を終えたジャンヌはフランスで平和に余生を送った。一言で言えば女の立場に立って考えたことのない男、少なくともそういう視点でしか映画を作れなかったことが、この悲劇的な主人公を平坦なキャラに、強盗で暴れ回り、脱獄を繰り返す「懲りない面々」のひとりでしかないものにさせてしまった。男のワンマンショーでなく女の語りをからませればもっときめ細かい男性像が彫り込めたのに。マズったね。本欄のどの映画で書いたか忘れたが「女が分かれば世界一の男になれる」という台詞があった。もちあげすぎかもしれないが、あながち外れでもないだろう。

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