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シネマ365日

2015年11月2日

特集「もてるにもホドがある70代」カトリーヌ・ドヌーヴ
夜風の匂い 人妻エレーヌ (1999年恋愛映画)

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監督 フィリップ・ガレル

出演 カトリーヌ・ドヌーヴ/ダニエル・デュヴァル/グザヴィエ・ボーヴァオ

シネマ365日 No.1557

 

願望の女 

特集「もてるにもホドがある70代」カトリーヌ・ドヌーヴ②

カトリーヌ・ドヌーヴに拮抗する女優はメリル・ストリープくらいでしょうか。70歳を越え、一年一作、新作それも主役級でオファが入る根っからの仕事好き。ほとほと感心するのがドヌーヴなのです。働き盛りの娘(キアヌ・マストロヤンニ)よりまだよく働いている。仕事がもたらす、活気のある人生が好きなのでしょう▼ある映画のキャスティングでいろんな女優の名前があがった。あれもだめ、これも気にいらん、監督が首をタテに振らない。演技力も容貌も申し分ない女優ばかりなのに、なぜかときくと「この役は美神だ。単なる美女ではないのだ。やっぱりドヌーヴだよ」で終わり。美人と美神はランクがちがうのですな。それはともかく、本作を選んだのはドヌーヴがフィリップ・ガレルにラブコールを送って強く監督を要請した、彼はそれに応えドヌーヴのためにこの映画を撮ったという、いわくつきの作品だったからです。このときドヌーヴは56歳だった。若い時からドヌーヴって顔は大きいし、お尻はでかいし、手も脚も長くないし、プロポーションとしてはごく普通なのよ。ところがいったんフレームの中に入ると、脚の短さも顔の大きさもかき消えてしまい、ただひたすらドヌーヴのエッセンス「美神」だけが残る、トクな女優です。ドヌーヴは、半世紀以上に及ぶ女優生活で約73作品に出演、しょうもない映画も多々ありますが(昼寝の夢に出てくるだけの役とか=「避暑地のラヴ・ストーリー」主演はなんとジョディ・フォスターでした)彼女の代表作といえばすべからく、心に影と闇を秘めたエキセントリックな女の自我を演じたときでした。「昼顔」も「インドシナ」も「ヴァンドーム広場」も「哀しみのトリスターナ」も「夜を殺した女」も「夜の子供たち」も「ハンガー」も。唯一例外が「ダンサー・イン・ザ・ダーク」でした。ドヌーヴは目の不自由な主人公ビョークを、影になり日向になってかばう、下町の工場で働く貧しいおかみさんでした。生活感あふれる、くたびれた主婦であるはずなのに、手入れの行き届いた豊かな金髪とアカギレひとつない白い手で、嬉々として「おばちゃん」役をこなしていました。出演することがよほど嬉しかったのでしょう、なにしろそれまでだれも持ってこなかった役でしたから▼それらの傑作にひきかえ、なんです、この「夜風の匂い」は。お話の半分は赤いポルシェがひたすら夜道を走っているだけじゃないですか。「夜のガソリンの匂い」のまちがいか。運転しているのは若い彫刻家(いいえ、じつは彫刻家見習い)のポール(グザヴィエ・ボヴォワ)と、妻が自殺した建築家のセルジュ(ダニエル・デュヴァル)。彫刻家見習いと人妻エレーヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)は情事を重ねている。エレーヌはポールとあいびきに使うアパートの階段で、若い女とすれちがっただけで「彼女の放つ若さ、なにもかもがわたしには苦痛」だと年齢の苦しさを訴える。観客は出会いのいきさつも情事のきっかけも教えられない。女はブルジョワの妻で金も学もあり、なに不自由はないのに彫刻家見習いに溺れ、若い男はそれが重荷になりつつある、ということがわかってきます。パリの街を歩きながら男が買ったソフトクリームを、エレーヌが横から食べようとすると「よせ。クリームが落ちる」といってポールは食べさせてやらない。「食べる?」とも女に聞かず、ソフトクリームを自分の分だけひとつ買ってぺろぺろ。エレーヌはクリームが舐めたかったわけじゃなく、男に甘えたかっただけでしょう。ふつうの女なら男がソフトクリームを独り占めした段階で別れちゃいますよ。そういやマゾヒズムはドヌーヴの好きなキャラのひとつだったな。マゾヒズムとはヨーロッパ帝国主義支配の裏返しだと喝破したのはジョン・K・ノイズ(「マゾヒズムの発明」=青土社)ですが、ドヌーヴのマゾ好きも支配の裏返しに近いけど▼いっしょに旅行に来たがるエレーヌをまいて、ナポリにきたポールは、建築家のセルジュと会う。帰りの車に同乗させてもらい、あれこれ話すうちにセルジュが全共闘時代の建築家であること、妻が自殺したことで心に傷をおって生きていることを知り、すっかり打ち解ける。パリにもどったセルジュとポールをエレーヌは自宅に誘い夫に紹介する。スポーツ哲学を講じる夫に退屈したエレーヌは、部屋のなかをふらふら歩いていたが、セルジュが帰ると言ったとたんテーブルにあったグラスを割り、破片で手首をグッサリ。大事には至らなかったが血が吹き出て夫もセルジュも腰を抜かしかける。つぎの日セルジュに会ったポールは「もうウンザリだ。あの女は浮世離れしている。わけがわからない。バカじゃないがすべてをブチ壊す女だ。なぜ手首を? わからない」こうなるとエレーヌは美神どころか疫病神。男はただひたすら女から逃走したい。セルジュとポールとエレーヌと三人で和食レストランに入ったとき、ポールは「疲れた」を連発して店から行方をくらまし、映画はそのままエンドになだれこむというむちゃくちゃぶりです。店に置いてきぼりにされたセルジュとエレーヌはホテルへ。行為のあと眠っているエレーヌをおいて自宅に戻った男は遺書を残し自殺して映画は終わり。頭の中で「???」が点滅したのはわたしだけでしょうか▼しつこいようだけど、ソフトクリームを一人分だけ買うような男、ウソ八百並べて自分を嫌がっている態度ありありの男、女は年齢にコンプレックスを持つものだという定見のもとに女を造形したがる男、女に救済を求めるくせに女にケチばかり優位に立ちたい男、こんな男になんでエレーヌという女はまとわりつくのか。それこそ男に都合のいい女の典型だわ。ポールと自分の年齢差をエレーヌは辛そうに指摘するのだけど、ポールなんて中年の、定職もないうさんくさい男ですよ。でも彼が本作の脚本も書いているのよ。それでこの「わけのわからない」映画の辻褄があうわ。エレーヌという現実離れした女は彼の幻想なのね。お前なんかきらいだ、いやな女だといくら追い払っても、ソデにしても、突き放してもあなたを愛しているという女、コンプレックスまみれのダメ男に、優越感を与え満足させてくれる女、ヘタレ男のひたすら願望する女がエレーヌなのね。 ああ疲れる。ドヌーヴさま、次はもう少しまともな男と狂ってください。

 

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