女を楽しくするニュースサイト「ウーマンライフ WEB 版」

  • facebook
  • twitter
  • line
  • rss
  • ブックマーク

シネマ365日

2015年11月7日

特集「もてるにもホドがある70代」カトリーヌ・ドヌーヴ⑦
愛のあしあと(2013年 家族映画)

Pocket
LINEで送る

監督 クリストファ・オノレ

出演 カトリーヌ・ドヌーヴ/キアラ・マストロヤンニ/リュディヴィーヌ・サニエ

シネマ365日 No.1562

それぞれの愛

特集「もてるにもホドがある70代」カトリーヌ・ドヌーヴ②

日本公開は2013年だったが、制作はその2年前。カトリーヌ・ドヌーヴは68歳だった。本作で主演級の女優といえばヒロイン、マドレーヌを演じるドヌーヴ、若い日の彼女をリュディヴィーヌ・サニエ、マドレーヌの娘、ヴェラがキアラ・マストロヤンニ。ドヌーヴはベッドシーンもやってのけているが、なんとなくトドみたいだった。キアラはドヌーヴの娘というより、マストロヤンニの息子みたいな風貌ね。もちろんきれいな子ですよ。でも本作で誰がいちばん濃かったというなら、ドヌーヴとキアラの間にはさまって一歩もひけをとらない、どころか完全にふたりを食ってしまっていたサニエですね▼物語は淡々と、というか妙にサラサラと流れるのだ。合間にちょこちょこ歌がはさまる程度で、ミュージカルと銘打つのもどうかと思うが、ドヌーヴがしみじみと歌ってラストを締めているのだけがさすが。靴屋に勤めているマドレーヌが、靴がほしくてくすねて退勤した、その靴、ロジェ・ヴィヴィアのパンプスを履いてウキウキ町を歩いていたら男に声をかけられ、アルバイトで娼婦をすることにした。ある日街路に立っていたら近づいてきた男が「君と寝たいんだ」と言った。「お金もってる?」と聞いたら「足りるかな」と何枚か札をみせた。彼はチェコから来た医師のヤロミル。マドレーヌは彼と結婚しチェコで暮らし、ヴェラを産む。夫の浮気癖に嫌気がさし、ソ連の侵攻があったときパリに戻り、憲兵のフランソワと再婚する。それからまあ2007年まで、マドレーヌはパリに来たヤロミルと関係を復活させ、娘のヴェラはヴェラで「わたしは娼婦の子」と言って、恋人がいるにもかかわらず、出先のロンドンでドラマーのヘンダーソンに一目惚れする。彼はゲイだったしエイズのおそれがあると告白する。ヴェラは一時あきらめたものの、ニューヨークまで彼を追いかけるが、テロ事件に巻き込まれ彼女の乗った飛行機は迂回してカナダへ。ヘンダーソンに会ったヴェラは「あなたがゲイで、わたしの産んだ娘がレズでもかまわない、リスクがあっても産みたい。この4年間あなたの瞳が生きがいだった」。ヘンダーソンには恋人がいて、ヴェラはヒゲだらけの男ふたりにはさまれ舐め回され、母マドレーヌの独白によれば「娘は男が持っていた薬をすべて盗み、バー行ってまとめて飲んだ」。ヴェラはバーの隅に崩れるように倒れたまま死ぬ▼ヤロミルは平気でマドレーヌの家を訪れ、夫のフランソワに別れてほしいと頼む、信じられぬほど無神経な男だ。娘のヴェラに服を買って与えたり、もう一度3人で住もうと言ったり、マドレーヌはマドレーヌで図々しい男を怒るでもなければ追い出すでもない。そのうちヤロミルは街路樹の枝が頭におち、脳震盪か脳梗塞かで死ぬ。2007年パリ。ヴェラの元恋人クレマンは、マドレーヌの誕生会に来るようにフランソワから誘われ訪問する。憂鬱そうなマドレーヌを外に連れだしたクレマンは、マドレーヌといっしょに彼女が元住んでいたアパートを訪れる。マドレーヌはその部屋から出てくる若き日の自分とヤロミルの幻を見る。人生はかくのごとく移ろうのだ。この映画はたぶんそう言いたいのだろうが、煮え切らぬ男や女のシチュエーションが連綿と続いて辟易した。マドレーヌは「わたしは今でも浮気な女/めんどうなことは嫌い/愛なんか石を詰めた袋と同じ/重いだけで役にたたない/情けなんか捨てて求めるだけ」と歌い、いつまでもヤロミルと関係を続ける。彼が死んじゃったからいいようなものだが、全然感動のない映画だ▼ところがやっと、娘の死からこの映画は復調する。取り返しのつかない哀しみがマドレーヌと元恋人のクレマンを襲う。クレマンはもともと真面目な青年なのだけど、多情なヴェラが手に負えなかったのだ。奔放な母娘に翻弄される男たち、という別の側面を本作は備えています。女たちの愛と性があまりアッケラカンとしているので、男たちはついていけない。同質の軽さを持ったヤロミルだから、マドレーヌは持ち重りしない関係を長く続けられたのでしょう。ヴェラを追想し、クレマンが夜の道端にしゃがみこむシーンがあります。赤いチェックのミニスカートに、黒いストッキングをはいた長い脚、それがヴェラの幻だと観客にはわかります。とりとめのない現実はでもどこかで収拾をつけねばならない。やっと、という感じでドヌーヴが登場します。それがこの歌です。「わたしたちの愛の終わりを願っていた/もうなにも起こることはない/ふたりの愛で何が残ったかしら/あなたが死んでも世の中は同じ/悩み事も変わらない/今でもわたしは生き続けられる/でも驚いたことがあるの/あなたへの愛なしで生きられない」アンニュイに満ちた厭世的な歌でありながら、失われた愛への憧憬と惜別がこもっている。愛がなくても人は生きられるけど、愛があったほうがすばらしくなるよ、人それぞれの愛であっていいのだから…愛がそれ自体に含んでいる苦さや毒をかみしめてラストを収めたのは、やっぱりドヌーヴだったからと思えます。

Pocket
LINEで送る