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特集「銀幕のアーティスト」

2018年9月9日

特集「銀幕のアーティスト8」⑨
すばらしき映画音楽たち(上)(2017年 ドキュメンタリー映画)

監督 マット・シュレーダー

シネマ365日 No.2597

映画のメッセージ 

銀幕のアーティスト

音楽は映画の第二の主役です。その曲が流れると映画のシーンがよみがえる。第二の皮膚のように映画と音楽は密着している。サイレント時代から現代まで、演奏のスタイルが変わり、シンセサイザーや多様な音を取り入れ、オーケストラに頼らないフォークやロックの台頭、いくつもの大きな変化を生んできた映画音楽の変わらないことはただ一つ、いつも映画とともにあったこと。ここにあげる作曲家や映画のタイトルは知らなくても、聴けばたちまち情景が目の前に浮かぶ音楽があります。作曲家の悪戦苦闘、新しい音へのチャレンジ、本作でインタビューを受けたアーティストたちは気取らず、率直に創作の一端を打ち明ける。あとで触れたいが、彼らの言葉にはしびれるような美しさがある。書ききれない。音楽という、言葉を排除した世界で国籍も性別も年齢も言語も関係なく、感動を伝達できる手段があるってこと自体が奇跡だ▼マルコ・ベラトラミの作品は「ハート・ロッカー」(バック・サンダースと共同)「3時10分決断のとき」を作曲した。監督は前者がキャスリン・ビグロー、後者がシドニー・ルメット。派手さのない映画で、地雷駆除や特色のない宝石店の遠景など、音楽を溶け込ませるのが難しかったと素人でも思える映画だった。ひしひし緊張と圧迫感があった。同作でビグロー監督は女性で初めてのアカデミー監督賞をとった。「ロッキー」のビル・コンティは「ロッキー」全シリーズの音楽を担当した。「ロッキーのテーマ」は、これが鳴るとフィラデルフィアの裏町を駆け抜ける新人ロッキーが彷彿とする。動きのある映画だけでなく、彼は「結婚しない女」「グロリア」(1980年)も手がけた。音楽次第で映画のメッセージが変わるいい見本だった。観客から思い通りの反応を引き出せるかどうかは、彼らが書いたスコア次第、と言っても間違いじゃないと思う。音楽には映像でもセリフでも、伝えられないものを伝える力があるからだ▼ジェームズ・キャメロンは正直に白状している。「ほとんどの監督は感情を音楽に変換できないから、作曲家はセラピストのように監督のちょっとした言葉の端々や、表情から意図を読み取る必要がある」。かつては作曲家がほとんど自分で演奏を指揮したが、最近はブースに入って監督や脚本家と同席し、彼らのリアクションを確かめながら、音の仕上がりを確認するケースが増えた。二人三脚で仕事する作曲家と監督のケースも少なくない。デヴィッド・クローネンバーグは「スキャナーズ」以後の、自作の全てをハワード・ショアに任せた。ショアは「羊たちの沈黙」や大作にも器用されたが、オスカー作曲賞の「ロード・オブ・ザ・リング」「同/王の帰還」より、私はクローネンバーグの一連の作品が好きだ。見る者に不安と焦燥を募らせ、ノーマルな世界を嘲笑するクローネンバーグ劇場は、彼あってこそ龍の目が入ったのだと信じて疑わない。楽器も重要だ。J・ラルフは「周囲の音を精製して音楽を抽出するのさ。間違った方法なんてない。正しくなるまで試みるだけさ」これこそクリエイトの真髄といわず何といおう▼音楽とは実体のない唯一の芸術だ。空気がそれを伝えるだけだからだ。1990年代のビッグ・ムーメントを担った当事者の一人、トム・ホーケンバーグは「マッドマックス  怒りのデス・ロード」で、ありとあらゆる打楽器を試しまくった。砂漠地獄を疾駆する壮絶無比のアクションシーンは、地の底から噴出する打楽器の連打でスクリーンを圧倒した。彼はこの作品に7か月間没頭したのである。