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特集「ダンディズム-dandyism-」

2018年11月17日

特集「ダンディズム6」⑪ 栗塚旭2
「燃えよ剣」(中)(1970年 テレビ映画)

監督 河野寿一他

出演 栗塚旭/舟橋元/島田順司/中野誠也/北村英三

シネマ365日 No.2666

新撰組は寺小屋じゃねえ 

特集「ダンディズム6」

 浪士集団の新撰組に伊藤甲子太郎が7人の部下を連れて参加、参謀職に就きます。本作の魅力の一つは、男たちの群像が輪郭もくっきりと描かれていることです。土方歳三と伊東は水と油。伊東は神田お玉が池の千葉道場で北辰一刀流を学ぶ。北辰一刀流とは当時、大学で言えば東大クラスのエリート集団で、文武両道を志すセレブの子弟が多かった。試衛館の居候、藤堂平助も北辰一刀流だったが…どこかでドロップアウトしたのだろう。学識派の山南敬助、そして伊東甲子太郎が同門だ。新撰組に集った浪士とは、親子代々お長屋に住み、同じ城に通っている藩侍とは違う。生国素性も話したがらない侍たちも多い。そうなると同門の稽古仲間というのは一番親しい友人関係と言えた。だから藤堂は伊東とともにのちに新撰組を離脱する。近藤、土方は「試衛館組」からまさかの脱退が出るとは思っていず、さすがの土方も、まして人の好い近藤はショックで肩を落として立ち上がれなかった▼近藤は伊東の存在が、新撰組を箔付けすると上機嫌だったが「冗談じゃねえ」土方は一蹴した。土方と近藤がかわす伊東の人物描写はこうだ。近藤は理路整然と情勢を説く伊東の弁舌と学識に心酔する。「伊東君の影響で隊士たちが本を読むようになった。えらいものだ」土方「新撰組は寺小屋じゃねえ。にわか教養など役に立たん」「トシ(誰もいないところでは、近藤は土方をそう呼ぶ)、新撰組はいつまでも壬生浪士団ではない」「そうかね。俺は倒幕派の親玉を抱えているような気がするがね。俺のカンだがね」伊東の土方評は「あの男には全く理論がない。近藤はただの剣士であってはならないという努力が感じられる。試衛館の田舎道場から隊士百人を超える大世帯を統率するようになったのは向上心の賜物だが、それが近藤の弱点だ。彼は一介の剣士を離れようとしている。つまり政治だ。議論弁舌学問教養、近藤を動かすのは容易い。土方は一切の議論を受け付けない。彼に政治はない。バカのひとつ覚えのように強くなることしか考えていない。真に恐るべきはそういう男だ。議論しても石に向かって言うのと同じ。思考の手に余る男だ」的確だ▼伊東の思惑は別にあった。彼の一の弟子、篠原泰之進はいう「あんたはまだ新撰組を乗っ取り勤皇の議運にしようと思っている。そのため新撰組に入った。百何十人もの命知らずの浪士集団の母屋は乗っ取れない」「なぜだ」「土方がいる。新撰組のタガが緩まないよう締めている」。土方のカンが当たっていた。彼にはウソ、インチキ、付け焼き刃を見抜く動物的カンがあったと思える。それに土方の「締め方」とはどういうものだったか。土方が弟のように可愛がる試衛館の一人、沖田総司は「人気がないんですね、土方さんは。誰も寄り付かない」「そのかわり近藤を憎んでいる奴はいるまい。俺は蛇蝎だよ。副長だ。嫌な命令、厳しい処分はみな俺の口から出した。近藤に一度でも言わせたことがあるか。新撰組とは烏合の衆だ。寄せ集めだ。少しでもタガが緩めばバラバラになってしまう。どういう時タガは緩むか。隊長近藤勇が隊士の信望を失った時だ。だから近藤を嫌われ者にはしない。恨みや憎しみは俺がかぶる。俺がいくら憎まれたって、近藤が信望を集めている限り新撰組は盤石だ。俺が伊東のように隊士のご機嫌や人気取りでいい気になってみろ。苦い命令は当然近藤の口から出るようになり、くだらない毀誉褒貶は近藤に集まる。そうなったら隊はバラバラだ」いつもは憎まれ口をたたく総司がこの時は黙っている。土方は照れたように「なに、どうってことはねえ。俺の性分でもあるんだ」▼土方の定めた局中法度は「士道に背くまじきこと」に始まる。勝手に金策するな、私闘を禁じる、脱出者は許さない、いくつかあるが結論はみな切腹だった。300年の泰平になれた武士たちにすれば、ワイルドで暴力的、有無を言わさぬ武闘集団だった。鉄の結束により、幕末の京都にメキメキ台頭し全盛期には隊士二百人を超えた。しかし彼らの行く手に立ちふさがったのは、薩摩でも長州でもなく、変わりゆく時代だった。