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特集「銀幕のアーティスト」

2018年12月26日

特集「銀幕のアーティスト9」④
ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣(下)(2017年 ドキュメンタリー映画)

監督 ドロタ・コビエラ/ヒュー・ウェルチマン

シネマ365日 No.2705

ただ感謝すればよい 

 撮影から二カ月後。ネットで公開した「テイク・ミー・トゥ・チャーチ」の動画は1500万回以上再生した。アイルランド出身の歌手ホージアが歌う歌詞は、宗教や差別に対するアンチテーゼだ。セルゲイは爆発的な動画の成功に励まされた。二カ月後、スキンヘッドにして国立モスクワ音楽劇場の舞台に立った。ジェローム・ロビンス振付の曲を踊った。両親と祖母を初めて招待した。セルゲイに人生を捧げてくれた家族への感謝。自分だけが苦しんでいたと思っていた過去が吹っ切れた。「高くジャンプして宙を舞っている時は最高の気分だ。跳んでいるとき思うよ。これが自分だって」。セルゲイのダンスは悩ましげだ。悲しげでさえある。よじれる四肢。宙に静止する美しい肉体。彼は呼びかけていた。「神よ、俺に優美なスタイルをくれ、俺に笑顔を授けてくれ」▼劇中ロイヤル・バレエ団を退団したあと、ロシア時代の彼が楽屋にいる。踊ったあとの心臓の鼓動はまだおさまらない。腹筋は荒々しく波打っている。呻きながら水を飲む。顎を黒々と短いヒゲが囲み、髪が無造作に額にかかる。目は落ちくぼみ頬骨が出て眼光が鋭い。なごやかさもやさしさもない、こんな目で見られたらほとんどの女はたじろぐ。「舞台は闘いだ。自分の感情や怒りや、疲労、苛立ちとの」。子供の頃の思い出をこう言う。「母の指示でバレエを始めた。休みはなく厳しく、怪我をしたらバレエをやめられると思った」。バレエは彼を成長させたのか、食いつぶしたのか。「バレエをやめるのは簡単だと思っていた」のに、舞台に立たない自分は自分に言い聞かせる。「踊るしかない」。親友であり振付師であるジェイド・ヘイル=クリストファの言葉を借りると「バレエ学校では単調な訓練が多いし、体力を消耗する。情熱がなければ続けられない。19歳でバレエ学校を卒業したとしよう。人生を振り返り気づく。自分には子供時代がなかったと。怪我してはいけないから外で遊ばず、バレエ以外に何もやらず生きてきた。何かを考える余裕もなくなる。自分の中に悪魔のようなものが生まれ、道を見失わせる」▼セルゲイは人生のとば口で、早くも道を見失ったのだ。栄光もあった。名誉も手に入れた。マスコミの賞賛も得た。天才でもあった。しかしそれらがもたらしたのが喪失だったとは、人生は至るところに挫折を用意している。皮肉に満ちている。見放した彼をでも人生は救う。ただ感謝すればよい。今日あるまで彼を支えてくれたすべてにただ感謝すればいいのだ。孤独と寂しさの中でセルゲイは父と母と祖母と、うらぶれた故郷と雪におおわれた貧しい街並みを思う。たった一つしかない家を捨ててまで金を工面し、学ばせてくれた家族の悪戦苦闘を思う。学校で仲間や教師に囲まれ、トップだ、天才だと持てはやされ、パーティで騒ぎ、挙句の果てに「母が厳しかった。支配された。バレエを捨てたい」といった悩みとは、段違いのレベルで食べていく苦しさはあった。国立キエフバレエ学校時代、レッスンが終わるまで母親は息子を待っていた。一度家に帰って、また迎えに来る交通費がなかったからだ。初めて招待してくれたセルゲイの舞台。楽屋に戻ったセルゲイを抱擁する父、おばあちゃん、私の息子と呼ぶ母…▼セルゲイは今、プロジェクト・ポルーニンを立ち上げ、若いダンサーの支援にあたっている。ゆきくれた自分のようなダンサーが頼れ、独自の公園もできる組織だ。いつか日本でも公演したいとインタビューでいっていた彼の表情に、苦行僧の鋭さは影を潜め、穏やかだった。クリエイターとしての可能性には映画も入っていて、踊れる俳優という物珍しさではなく、ちゃんとした演技を目指したいとも。役者デビューは「オリエント急行殺人事件」(ケネス・ブラナー監督)のルドルフ・アンドレニ伯爵だったと思う。