女を楽しくするニュースサイト「ウーマンライフ WEB 版」

  • facebook
  • twitter
  • line
  • rss

特集「最高のビッチ」

2019年1月31日

特集「最高のビッチ7」⑪ ルチーナ・ウィンニッカ
尼僧ヨアンナ(1962年 社会派映画)

監督 イエジー・カワレロヴィッチ

出演 ルチーナ・ウィンニッカ

シネマ365日 No.2741

悪魔だって相手を選ぶ 

特集「最高のビッチ7」

 悪魔に憑かれた尼僧ヨアンナ(ルチーナ・ウィンニッカ)が、悪魔払いに来たスーリン神父に「悪魔に魅入られていることが私の歓びです。宿命として誇らしい」と開き直る。神父は「救ってみせる」「いかにして? 他の修道女のように従順な人間になれと? 毎夜この胸に悪魔を迎えます。あなたは私を世俗並みの人間にしたいのでしょう。一日中お祈りして豆ばかり食べる女に。救いは望まない。堕落の方がマシです。聖女にしてくれるなら望むところです。そうでなければ悪魔に身を売るわ」こんなに悪魔が好きなら放っておいてやればいいじゃん。聖女にしてくれるならともかく、悪魔にだって身を売るとまで言うのだから、フツーじゃないでしょ。関わらない方がいいと思うのは私だけじゃなく、スーリンの先輩神父もそう。酸いも甘いも噛み分けた初老のプリム神父は、ヨアンナの悪魔払いに失敗し、火刑に処されてガルニェツ神父の遺児ふたりを育てています。彼はスーリンに言う「悪魔は聖者をつくる方便かもしれん。存在しないかもしれん。女には堕落する魔性がある」▼ヨアンナが悪魔に操られ、尼僧たちまでおかしくなり、夜な夜な卑猥なダンスに興じると村人たちは言うのですが、どんなダンスか具体的に描かれない。悪魔が宿っているとは叫ぶが、宿った箇所は具体的に指摘されない。そのかわりイエジー・カワレロヴィッチ監督は、白い荒野の廃墟のような尼僧院、虚空に飛び立つ鳥の群れ、石造りの壁に黒いアーチ型の窓が巨大な怪獣の胴体に開いた傷口のようだ。天井の高い内部は閑散と、どこまでも虚無的なゴシックムード。同じ監督の「夜行列車」でもそうでしたけど、ラストに現れる荒涼としたバルト海。本作では海の代わりに荒野です▼映像は美しい。でもキリスト教って本質的に男仕様なのね。32歳のエネルギー充分の年でキリストは磔になったから、老後の心配とか、介護を押し付けられる女の苦労とか、細かいところまでわからなかったのは無理ない。だから神父も悪魔が宿って苦しいと訴えるヨアンナに「悪魔のせいではない、取り憑かれたあなたに隙があるはずだ。キリスト信者は善か悪かの見境いはシカとつくはずです」なんて冷たいことを言う。善か悪かで片付く問題かしら。女に隙があるなんて、まるで「告発の行方」だわ▼神父はヨアンナを愛してしまい、自分に悪魔が乗り換えたらヨアンナは解放される、そのために彼が悪魔に身を売った方法とは、罪のない従者と宿の下男を殺しちゃうのです。従者がとてもいい青年で「酒乱の親父を殺したくなる」と悩む下男に「お父さんのために祈れ。俺の言う通り唱えろ」と教える。「俺にも悪魔が憑くのかな」「悪魔が相手にしない人間もいるよ」この二人、いつも馬小屋のワラの上で仲良くひっついて寝るから「ブロークバック・マウンテン」になるのかと思ったら違ったけど。自分の愛のために誰かを殺すなんて痛いわ▼ヨアンナは神父の犠牲で悪魔から解放され、神父の愛を知って涙する。強く悪魔を愛した時に悪魔は人間にとりつく。だから悪魔が相手にしない人間もいるという見解は正解だと思うわ。多分ヨアンナは抑圧から自由を求めるあまり、無双のパワーを持つ悪魔に恋したのだと思おう。トバッチリを食った神父と彼の従者とその友だちはかわいそうだった。もし悪魔に魅入られた人がいたら…おそらく魅力的な人でしょうね。でも凡人としては敬して遠ざかるわ。愛と悪魔は一心同体であり、表裏一体であり、自分の中に潜むものであり、殺したり追い出したりするべき相手じゃないと思うのよ。もし悪魔に乗っ取られたら? 見返りに狂気と、とんでもない天才を与えてくれるわよ、きっと。