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特集 LGBTー映画にみるゲイ

2019年3月8日

特集「映画に見るゲイ11」282 
ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ(1983年 ゲイ映画)

監督 セルジュ・ゲンズブール

出演 ジェーン・バーキン/ジョー・ダレッサンドロ

シネマ365日 No.2777

コテン! 

特集「映画に見るゲイ11」

 カラスがトラックのフロントガラスに追突して死んだ。血が飛び散っている。ドライバーはそのままトラックを走らせ、到着したのはゴミ廃棄場だ。ゴミの山がいくつも連なる巨大ゴミ捨て場だ。運転手のクラスキー(ジョー・ダレッサンドロ)はカラスの死骸をむしり取り、高く放り上げて「バンバン」銃を撃つ真似をして地面に墜落させる。ゴミの山のゴッサム。相棒のパドヴァンに振り向き「興奮したか」と訊き、返事を待つ気はないらしく、背を向けて長々と放尿する。始めからぞっとしないシーンである。男性二人はゲイの関係にある。トラックでゴミを運びながら町から町へ流れ歩く。ここは田舎町だ。閑古鳥の鳴くスナックに入った。隅っこのスロットマシーンには人影もない。カウンターにショートヘアの少年のような女の子がいる。オーナーに怒鳴られ、こき使われている。このジョニー(ジェーン・バーキン)にクラスキーが興味を持つ▼ゴミだとかカラスの血だとか、放尿だとか、見たくもないものばかりで始まった本作はセルジュ・ゲンズブール監督によってさらにひねくりまわされた。ジョニーはクラスキーが好きになるが、ベッドに入ると彼は機能しない。ジョニーは「私を男だと思って」とお尻をさし出すが、痛さのあまりホラー級の絶叫を繰り返しホテルから追い出される。とはいえ、うらぶれた町にも楽しみがあり、土曜の夜はダンスパーティだ。下手なバンドがそれなりに盛り上げ司会者は「お待ちかね、素人ストリップ」と告げる。年齢スタイルは不問。参加女性は地元の女性。みんな勇敢に脱ぐ。本作にはどうでもいいシーンがたくさんあって、このストリップなどゲンズブールの悪趣味あるいは女性への蔑視としか思えない。ぶよぶよ衰えた肉体は女だけのものじゃないでしょ。男にはよう脱がさんのね▼パドヴァンはジョニーとくっつくクラスキーにムカつく。「あんな淫売のどこがいい。ヘドが出る。お前にはウンザリだ。故郷のイタリアに帰る」とわめく。クラスキーは「国に戻ってまたブタ箱かよ」とバカにする。流れ者相手にジョニーは熱を上げ、納屋の床、トラックの荷台、ところかまわず「痛い、痛い」を絶叫する。意味のないシーンが多いと書いたけれど、これなんか極め付け。白馬に乗った名のない男が野原のどこからともなく現れる。ジェラール・ドパルデューだ。ゆっくり馬を進めながらクラスキーに「やめときな。俺のは無理さ。デカすぎて病院行きが何人も出た」とつぶやきながら消える。何ゆえのシーンなのか。クラスキーは時々哲学的なことを言う。「人生はこの川の水と同じだ。苦いものだ」「いつも悲しそうね」「自分のしたいことがよくわからないのだ。子供の頃は蒸気機関車の機関士になりたかった。でも今は電気に変わった」「少しは私を愛している?」「前か後ろかは問題じゃない。大事なことは体を合わせ同時に達することだ。それが愛だ。滅多に味わえるものじゃない」この屁理屈。達しているのは自分だけでジョニーは痛がっているだけよ▼嫉妬の鬼、パドヴァンが入浴中のジョニーを襲った。ビニール袋をかぶせてあわや窒息死。クラスキーが入ってきて救出する。「あいつを殴って」とジョニーが頼む。「殴ってどうなる」「私を殺そうとした男よ。あんたってサイテーね」「行こう、パドヴァン」。クラスキーは相棒を咎めもせず肩寄せてホイホイ出て行くではないか。女は置いてきぼり。全裸で追ったジョニーは絶叫。野原にコテンとうち倒れて泣く。登場人物が全員自分勝手な奴ばかりで、即物的で獣的で、叙情のかけらもない映画で、旋律は綺麗なのに映像ときたら変態のゲンズブールにのけぞる。ジェーン・バーキンとゲンズブールは当時すでに結婚していたのかどうか忘れたがとにかくラブラブだった。でも本作の女性の扱いを見たら、のちバーキンがゲンズブールの暴力を恐れて離婚した下地が見えるような気がする。ラストのバーキンは特筆ものね。空と荒地の間に天上天下唯我コテン。あの空虚。彼女のスレンダーな肢体にとんがった肩甲骨がただ一つ、本作の美しさでした。