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特集「異形の美術館」

2019年7月6日

特集「異形の美術館」⑥
スパイダー/少年は蜘蛛にキスする(上)(2003年 サイコ映画)

監督 デヴィッド・クローネンバーグ

出演 レイフ・ファインズ/ミランダ・リチャードソン/リン・レッドグイヴ

シネマ365日 No.2897

妄想のエクスタシー 

異形の美術館

ロールシャッハテストのような図柄をバックにオープニングです。歌が流れる。デヴィッド・クローネンバーグ監督は詩や歌の使い方がとてもセンスよく、「マップ・トゥ・ザ・スターズ」にはポール・エリュアールの「自由」が効果的でした。「学校のノートの上に/教室の机と木の上に/砂の上 雲の上に/君の名を書く」というあれですね。本作ではこの歌詞。ちょっと長いですが、クローネンバーグの基本姿勢が現れているようで、好きなのです。「そびえる山々を越えて/波のうねる海原を越えて/清い水のわく泉の下/死者たちが眠る墓地の下/怒涛となって流れる洪水の下/海の神ネプチューンもなすすべはない/あるいは剣より鋭い岩山を超えて/愛は見出す/その進むべき道を」▼「愛の進むべき道」を本作は簡単に提示しませんが、愛が何かとの対立にあることは指し示しています。主人公デニス(レイフ・ファインズ)の記憶との対立です。精神病院から出た患者を預かって様子を見る中間施設(患者の状態次第では病院に送り返す)に来たデニスは、寮長のウィルキンソン夫人(リン・レッドグレイヴ)に部屋を与えられ、記憶を手繰り寄せていく。母親(ミランダ・リチャードソン)と幼い自分が蘇る。父親は酒場の娼婦イヴォンヌと逢引し、それを目撃した母親をスコップで殴殺する現場を見た。ショックでデニスは部屋に蜘蛛の巣のような糸を張り巡らす。後妻となって家に入ったイヴォンヌを殺そうと、遠隔操作でガス栓を開くようにし、中毒死させるが、運び出された死体はイヴォンヌでなく父親に殺されたはずの母親だった。母親殺しのためデニスは精神病院に送られ、退院して今の施設に来た。彼は毎日、ボロの手帳に細々と記憶を書き付けている。デニスはウィルキンソン夫人がイヴォンヌその人であることがわかり、殺害しようとして寝室に行きますができなかった。彼は再び精神病院送りになる▼映画は終始陰気な色調で、しかも音楽がハワード・ショアですから抑うつの調べ満点。記憶には明るい記憶も楽しい記憶もあるはずなのに、クローネンバーグが外科医のように摘出するのは、人格破壊装置みたいな記憶ばかりです。記憶の「クラッシュ」です。記憶そのものがデニスを社会からはじき出していく。彼が思い出すことはすべて犯罪、孤独、狂気に連結する妄想に囚われた人間という「異形の自画像」です。そういえば「ミディアン」でクローネンバーグは主演し、演じるところはシリアル・キラーでした。本作はクローネンバークにしては「スキャナーズ」「ザ・フライ」や「イグジステンズ」のようなグロテスクな形象で驚かす作品ではない代わり「ビデオドローム」や「クラッシュ」に連携する、イメージの中の衝突と対立そして破滅に引き込まれます。引き込まれる、と書いたのは、クローネンバーグの場合、脳が描き出す妄想や幻想にはエクスタシーが伴い、これが本当の現実だ、人が肉眼で見ている現実なんて嘘っぱちさ、という彼の信念につい「引き込まれて」しまうからです。彼は20代で最初の長編「ステレオ/均衡の遺失」を撮った当時、すでに「ファンタジーを持つことがいかに必要か、見くびってはいけない。だから僕は例えば分裂、年をとること、死、別離、人生の意味、そう言った尽きることのないテーマに何度も戻っていく」と語っています。彼の映画がどんな結末であれ「愛の進むべき道」を示しているとするなら、救いのない主人公の妄想とは、彼がくりかえし戻ってきたテーマである、アイデンティティの自己確認だったようにも思えるのです。