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特集「異形の美術館」

2019年7月7日

特集「異形の美術館」⑦
スパイダー/少年は蜘蛛にキスする(下)(2003年 サイコ映画)

監督 デヴィッド・クローネンバーグ

出演 レイフ・ファインズ/ミランダ・リチャードソン/リン・レッドグイヴ

シネマ365日 No.2898

自分を裏切る記憶 

異形の美術館

ねじれた記憶の世界にいるデニスは、クローネンバーグの主人公がおしなべてそうであるように、一般の社会から疎外されたアウトサイダーです。ニコチンが黒いシミを作った汚い指、絶えず独り言を言いながらメモをとり、何枚もシャツを重ね着して人に触れられることを嫌がる奇妙な男。人とは異なる現実にいる男。「我々は日々周囲で起こることを知覚し、それが脳や知能を経て加工されるため、現実を客観的に正当化することができない、つまり現実とはその人が自分の脳で作り上げたものだ」とクローネンバーグは本作について言います。「アイデンティティの確立には、時間と強い意志が必要だ。基本的に我々は主観によって現実を捉えている。私は映画そのものが別の現実を創り出し、独自の生態を持つ世界になるよう意図している」簡潔な作品評です▼デニスが狂気に追い込まれた理由は、父親が母親を殺した事件がきっかけであるが、それは彼の幻想で、殺したのは父親ではなく自分だったことがわかります。記憶とは作られるものであり、人は常に記憶を消去、修正、編集している。「記憶とはつかみどころがなく有機的に変化するものだ。デニスに限らず正確な記憶など存在しない」それがこの映画のテーマだと監督は言います。記憶とは人間の存在の背骨ですから、「正確な記憶など存在しない」と断言されたら私など途方にくれる。しかし過去の自分と今の自分を比べたら、ある面を取り上げると別人になっているという実感は、実生活でよくあることで、人間そのものが変化絶え間ない不定形であるのだから、記憶など正確なものではないとクローネンバーグに言われても(そうかもね)とうなずいてしまう。簡単に言うと、私たちは二つの現実の狭間で生きている。一つは目の前を過ぎゆく表象であり、もうひとつは心が描き出すイマジネーションという現実。前者と後者は蜘蛛の巣のように絡み合い相互作用しながら、クリエイトする世界を作り出す▼デニスは世間の現実に不適応で、妄想の深みに嵌り込んでいきます。悲劇ではありますが最後に唯一、自分の過去の真相が明らかになったことで、再生の道は示されたのでは。父親が母親を殺す幻想は、母親を失うことがデニスにとって最大の恐怖であり、彼は生きていく力のすべてを母親に負っていたからとも言えます。父親が息子の失敗を咎めようとすると、母親が(言わないで)と目配せするシーンがありました。デニスには先天的な神経性の疾患があったのかもしれません。二つの現実があると書きましたが、社会的ルールのもとで生きる現実と違い、心の中の現実は危険極まりない側面を持ちます。そこはモラルと一線を画した世界であり、どんなグロテスクな変身も可能だ。「ザ・ブルード 怒りのメタファ」は肉体の独立宣言みたいなもので、自分自身が絶えず自分に裏切られるという発想は、初期からのクローネンバーグのテーマで、本作も「自分を裏切る自分の記憶」が主人公だと言えます。ひとつ残念だったこと。クローネンバーグ得意のマンガチックなまでにデフォルメされた、グロテスクな形象が登場しなかったこと。「スキャナーズ」の血しぶきをあげて吹っ飛ぶ頭の爆発とか、「ザ・フライ」の悪魔的なハエ男とかの「異形の造型」が影を潜め、幾何学的な美しい文様を描く蜘蛛のイメージが、作品を陰鬱に、という言い方が悪ければ静的にした。彼はでもこの方向性が気にいったらしく、以後「ヒストリー・オブ・バイオレンス」「イースタン・プロミス」「危険なメソッド」と、彼の作家性は、人を驚かすよりも語りかける傾向に移行していきます。