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特集 LGBTー映画にみるゲイ

2019年9月10日

特集「映画に見るゲイ12」289
金色の眼の女(上)(1963年 ゲイ映画)

監督 ジャン・ガブリエル・アルビコッコ

出演 マリー・ラフォレ/ポール・ゲール/フランソワーズ・プレヴォー/フランソワーズ・ドルレアック

シネマ365日 No.2963

愛は「壊れ物」注意 

特集「映画に見るゲイ12」

 ゲイの女性二人、女性誌の経営者エレオノール(劇中レオ=フランソワーズ・プレヴォー)と自称学生の「金色の眼の女」(マリー・ラフォレ)がいる。金色は劇中いろんな名前で呼ばれるが面倒なので「金色」にする。彼女は女同士の関係から逃げ出したい。レオから聞いていた写真家アンリ(ポール・ゲール)に会いに行く。彼の車に勝手に乗って待っていた。オープンカーだ。アンリはプレーボーイの仲間たちと「いかに女を落とすか」を賭け事にしている中年男だが、お金はあるし、名前は売れているし、でいつも女が取り巻いている。レオとは10年越しの付き合いで今は「親友」の間柄。車にいる「金色」が美人なので気をひかれるが、女はろくにものも言わず姿をくらます。男は名刺に場所と時刻を書いて渡しておいた▼雰囲気たっぷりのモノクロ作品。「太陽がいっぱい」でブレイクした後のマリー・ラフォレがやたらアップで撮られています。気にいらなければすぐ殴る傲慢男を、「金色」は「愛している」ことになる。彼の素性や性格はレオから情報を得ていたらしい。逆に女の正体はさっぱりわからない。学生らしいが勉強している様子もないし大学の話もしない。昔男と駆け落ちして別れたとかいうが、本名も住所も明かさない。それでいて「私を連れて遠くへ行って」と訴える。男は深みにはまっていくが、根が自分勝手な奴だから、女の言う通りにならない。女は逃げたり戻ったり、家に呼んだり、呼ばれたり、ますます親密なお付き合いになる。ヒロイン「金色」はすぐ泣くのだ。終始メソメソして、実際にこんな女にまとわりつかれたら、仕事の忙しい男は相手にしておれないだろうと思うが、でもマリー・ラフォレだと許されるみたい。男はレオに「この女、知っているか。知らんとは思うが」と答えをあてにせず、オープンカーにいた金色を撮った写真を見せる。レオはギョッ。金色の部屋には隠し扉があって、レオの家(豪邸である)に続いている。レオは金色に住まいを与え、誰にも知られないよう一緒に暮らしていた▼「金色」はレオに打ち明ける。「彼が好きなの」「彼は女をみなオモチャにする。あなたもそう。恥知らずで傲慢で、残酷なの」「彼は内気よ。誠実だと思う」どう見てもレオのほうが正鵠をうがっていると思うが、「金色」は真逆の見方をしている。「彼が好き。どうしたらいいと思う」とレオに訊くのだ。こういう神経ってどうなのでしょう。レオこそいい面の皮だってこと、全然わからないのね。「もう大人でしょ。支度して彼に電話して」とレオ。「あなただけよ、信頼できるのは」と「金色」。美人だけど、アタマよくない女性の典型でしょうか。アンリがまた「金色」に輪をかけて無神経な男だから、レオにこういう。「彼女は君に怯えていた。自分自身にも。痛々しい趣味だな」。ゲイってそんなに「痛々しい」と見えるのかしら。「金色」といいアンリといい、全然グローバルじゃないわね。だんだんこの映画が退屈になってくる。ゲイを爪弾きにするのは、1960年代ならやむをえない理解度だったかもしれないけど、それを人格面にまで言及する見方がムカつくわ。「金色」だって子供じゃなし、破局を迎えるのは、男同士、女同士の愛に限らないでしょう。愛はもともと「取扱い注意」の「壊れ物」なのよ。