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特集「ベストコレクション」

2019年10月8日

特集「コスモス秋風に揺れ/10月のベストコレクション」⑧
マイ・サンシャイン(2018年 事実に基づく映画)

監督 デニズ・ガムゼ・エルギュヴェン

出演 ハル・ベリー/ダニエル・クレイグ

シネマ365日 No.2991

突き当たりの社会

特集「コスモス秋風に揺れ/10月のベストコレクション」

 デニズ・ガムゼ・エルギュヴェン監督の前作「裸足の季節」は、血の繋がった家族からアイデンティティを求めて脱出する少女の物語。本作は血の繋がらない家族が、ロス暴動の渦中に巻き込まれ、暴力と死に向き合いながらホスト・マザー、ミリー(ハル・ベリー)が家族を守り抜く物語。二作を通じてゆるぎがたく社会を覆っている偏見を監督は描出します。前者は女性に対して、後者は人種に対して。監督は加害者にも被害者にも味方せず、あおりを食ってめちゃくちゃにされた家族の悲劇を展開します。暴動がなければメリー一家は貧しいながら幸福に暮らしていけたわけですからね。発端は1991年ロス。食料品店の店主トウ・スンジャが商品を万引きされたと思い、15歳の少女ラターシャ・ハーリンズの頭部を背後から撃ちぬいた。判決は保護観察と罰金500ドルだった。その2週間前、26歳のアフリカ系ロドニー・キングがスピード違反で警官4人に殴打され、判決は警官の無罪だった。ミリーの住むサウスセントラルはアフリカ系住民の地区。住民たちは激怒し警察署を襲い、略奪、暴行が横行し街に火の手が上がる▼ミリーの家族も店の焼き討ち、略奪に加わっているのがテレビに映る。ミリーは現場に駆けつけるが、暴徒の一員とみられ、同行した隣人の白人男性オビー(ダニエル・クレイグ)と一緒に街灯の柱に手錠でつながれる。オビーが街灯のポールをよじ登るアクロバットで手錠を外し、両手を自由にしてミリーを助け、混乱のさなか、長男ジェシーの車を見つける。その中には同じく家族の一員ウィリアムの死体と彼のガールフレンド、ニコルと茫然自失のジェシーがいた。だから何が言いたいのか、と自問すると空漠とするほかないのだ。監督はシナリオ・ハンティングでサウスセントラルを訪れ、何人もの子供たちをホスト・マザーとして育てているミリーに出会い、ロス暴動を家族の視点から描くアイデアを得たという。それだけならドキュメントでよかったはずだ▼でもそうはしなかった。監督にとっては分厚い差別の重層構造を掘り下げるためには、犠牲に巻き込まれた家族が必要だったにちがいない。家族というが、実に特殊だ。少なくとも日本人から見て、見知らぬ少年少女をすぐ家に連れてくるミリーは、ミリーの長男(彼も血のつながりはない)でなくとも「いい加減にしろよ」と頭にくるのに充分だ。家は子供達がひしめき合っている。ミリーは実の子同様に可愛がり、毎日家のオーブンでケーキを焼いて売り、暮らしを立てている。食べ物が不足すると次男格のウィリアムが弟妹を引き連れ万引きに繰り出すが、ミリーは知らない。このウィリアムと、どうしようもないアバズレのニコルという少女の恋愛や、謹直なジェシーがニコルを好きになるという、無駄に甘い恋もからんで映画をややこしくしているが、要はミリーという女性が、損も得もなく、子供たちを引き受けねばどうしようもない、袋小路の突き当たりの社会なのだ。母親達は諸事情があって子供を育てられない。見捨てられた社会での愛とか思いやりは、8人の寄り合い所帯という、不自然極まる家庭を形つくらざるをえない。暴動は差別の壁を物ともせず、体当たりして子供達を救うミリーの勇敢な生き方をあぶり出している。オビーは地域で唯一人の白人として、口やかましく隣家のミリー一家に怒鳴りながら「実は温かく見守っている」とジャケ写にある。無駄に甘い注釈だった。ダニエル・クレイグはこれじゃ「007」には出たくなくなるのは無理ない、と思えるいい味を出しているのに。どこがいいかというと、慎み深さとか、惻隠の情とか、人生の憂とか、およそハリウッドが描き忘れたようなヒーローを演じたらうまい。ダニエルの出演は映画として一種のステイタスだ。でも本作は周縁系だった。にもかかわらず、コミカルなまでにダニエルよくやったわ。