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特集「最高のビッチ」

2019年11月8日

特集「最高のビッチ9」① アンヌ・パリロー
ニキータ(1991年 アクション映画)

監督 リュック・ベッソン

出演 アンヌ・パリロー/ジャン=ユーグ・アングラード

シネマ365日 No.3022

ニキータの幸福 

最高のビッチ特集

 女の暴力性がスクリーンに現れたのはいつ頃からだろうと思うと「ニキータ」に行き着く。悪女役の名女優は、ベティ・デイビス、バーバラ・スタンウィック、マレーネ・ディートリッヒ、ジョーン・フォンテインのズバリ「生まれながらの悪女」もありました。ちょっと若くなってシャロン・ストーン、ユマ・サーマン、ロザムンド・パイク。女優アクションの傑作となると百花繚乱を呈する。「バイオハザード」シリーズ、「ハンガー・ゲーム」「ソルト」「アトミック・ブロンド」。しかしこれらと「暴力性」は少し違うのだ。女性は長い性の役割のために育児、母性、介護、それら自分以外の誰かをお世話する義務と責任を担い、暴力性は抑圧されてきた。女が振るうに暴力は悪徳であり(男性にとってもそうだが、女は特に)社会的道義的見地から厳しく弾劾される▼この抑圧をジャラジャラまといつく衣類のようにさっぱり取り払ったのが「ニキータ」だったと覚えている。彼女は社会から阻害された獣的な女で、秘密工作員として訓練を施された後、ニキータ(アンヌ・パリロー)は任務につくのだが、スパイとは本来感情を抑制し、他人の人格にもなる騙しのテクだから、怒りに任せて嘆き悲しみ、すぐ泣くニキータほど、不適任な性格はないのである。しつけ役のアマンド(ジャンヌ・モロー)が歩き方、話し方、微笑み、話術を教えるのだが、数年間訓練を経たはずなのに、ニキータは高級レストランで、贈られた誕生プレゼントの綺麗な包装紙をバリバリ無作法に破り、テーブルの皿をクチャクチャと舌を鳴らして平らげ、アマンド先生のエレガンスもあまり身についたふうに見えない。アマンドが教えたのは次のようなことだ。「気品の定義はわかる? わからない時は微笑むの。知的には見えないけど好感を与える。頬の緊張をほぐせば美しい表情になるわ。微笑とは見せかけのやさしさ。甘い吐息は魂を溶かすわ。限界のないものが二つある。女の美しさとそれの乱用よ」しかるに劇中、ニキータが微笑んだとか甘い吐息を吐いたとか、ほぼお目にかからない。すぐ言うセリフは「やりたい」▼その代わり彼女が乱用したのは暴力である。本作の初めから終わりまで、ニキータの抵抗は捕獲された獣の暴れ方だ。ところが格闘技となると彼女の本能的な攻撃の方が強く、インストラクターは耳を噛まれ匙を投げる。思えば「ソルト」のアンジーも、「アトミック・ブロンド」のシャーリーズ・セロンも、「バイオハザード」のミラ・ジョヴォヴィッチも、きちんと訓練を受けたエリート専門職であり、彼女らの闘技は精巧で美しく優雅で、ひねくれた言い方をすれば所詮正義の味方だった。人格的に整合性があり、獣的でもなければ暴力に淫する女でもなかった。ニキータの末裔をスクリーンで探すとすれば「ヘイトフル・エイト」のジェニファー・ジェーソン・リーだろう。オープニングから目の周りに紫色の痣をつくって現れ、ガンガン男に殴られ、やり返すとなると血も涙もない。汚らしく獣じみた汚穢を撒き散らし、死んでくれて胸をなでおろす女を怪演した▼アンヌ・パリローの顔をよく見よう。太い黒い眉。暗闇で見開いているような眼。くっきり浮き出た顎の骨は、奥歯の強さと猛烈な咀嚼力を思わせる。菜っ葉や豆腐を噛む顎ではなく骨を砕く顎である。耳も千切れるわね。恋人役がジャン=ユーグ・アングラードだ。覚えておられるかもしれないが「ベティ・ブルー」のベティの恋人ゾルグである。感情の起伏の激しいベティのそばにいて彼女を心底愛し、植物人間になった彼女を安楽死させる。ラストはこうだった。作家志望のゾルグが黙々と部屋でひとりペンを走らせている。「書いているの?」ベティの声が聞こえた。視線を向けると二人が可愛がった白猫がゾルグを見ている。猫にいう。「書いていたんだ」。心に沁みた。ニキータの本業を知りながら、逃走を決めた彼女に「僕も一緒に行く」という青年マルコに、彼と出会えたニキータの幸福を思った。

 

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