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特集「銀幕のアーティスト」

2019年12月28日

特集「銀幕のアーティスト11」② 
ねじ式(1998年 ファンタジー映画)

監督 石井輝男

出演 浅野忠信/藤谷美紀/丹波哲郎

シネマ365日 No.3070

眠れや… 

銀幕のアーティスト

つげ義春は「どんな芸術も最終的には意味を排除することが目的だと思う」と芸術新潮の特集で語っていたことがある。意味が排除されているから、どんな意味にも解釈することが可能だと自分なりに思ったものだ。今でもこの感想は変わらず、よってつげ義春の作品はどんな解釈も受け入れる自由で豊かな妄想世界だ。本作は冒頭からぶったまげる。赤いスクリーンに口の周りを紅で隈取り、長い黒髪を振り乱した巫女のような女が、これまた赤いコスチュームをまとって身をよじり、裸の男女数人が這いつくばい、赤い泥の中をのたうつ。ピエル・パオロ・パゾリーニものけぞる。全員ふんどしであるところが野生的で、一人の男は素っ裸になり、女は男の肛門をしげしげと覗くのである。本編のストーリーに関係ないと思えるこのシーンを、冒頭とエンドに出すところが、石井輝男監督のつげワールドへのアプローチなのか▼主人公ツベ(浅野忠信)は売れない漫画家で家賃滞納のためアパートを追い出され、妻国子(藤谷美紀)は寮の住み込み賄い婦となり、夫は昔馴染みのアパートに転がり込む。対人恐怖症、赤面恐怖症、無収入と、社会不適合が雪崩のように押し寄せた男を、浅野忠信がボソボソと演じる。つげ義春は「別離」を最後に、事実上50歳で漫画から引退した。「ねじ式」は彼の絶頂期30代の作品だ。傑作を世に送り出した彼の精神的・物質的基盤は、ノイローゼと妄想の日々の連続だった。劇中、主人公にこう言わせている。「不吉な重い流れのようなものが僕の心をダメな方、ダメな方へ押しがなすのにいたたまれない」。自殺を試み未遂に終わり、親切な同居人やアパートの大家(丹波哲郎)に看病され、無一文のため、3日で退院を強いられた主人公は、帰路「淡い日差しを浴びて、今にも消え入りそうな自分の影を見て、涙が流れた」どんな女でもサイナラしたくなりそうなヘタレなのに、劇中でも女が逃げ出さないのは不思議だ。漫画家の一人が言っていたが「彼ほどやさしい人はいない。結婚すると聞いて軽い嫉妬を覚えた」のだって▼絶頂期の作品にはブレイクした本作のほか、「紅い花」「ゲンセンカン主人」「もっきり屋の少女」などがある。シュールというのは彼の漫画の一面的な捉え方でしかない。叙情、デカダンス、イノセント、引き裂かれた自己、それらのイマジネーションに満ちた作風は、全共闘時代の騒然とした世間のアンチテーゼとして迎えられた。内省的で欠損的で、浮世離れして、失われた故郷を探す異邦人のイメージに合致した。彼は苦労人だった。貧しい母子家庭、中卒で工員、売れない漫画。出版社から売れている漫画家の傾向を取り入れるようアドバイスされたが、じくじく迷って(きっぱり、でないところが彼らしい)結局受け入れなかった。後で考えると、弱っていた神経が味方したとしか思えない。もし健康な前進主義の社会人だったら、遅疑なく「売れる」方向へ転換できたかもしれないが、気色悪いのに人の気持ちを捉えてしまう、ダークな「つげワールド」は現れなかった。貧乏も無職もヘタレも彼のアイデンティティを奪うことはできなかった。しかし30代の傑作の連打で、彼は精力を使い果たしたかのように後退期に入る。いいではないか。生まれてきて、やるべきことをやったのだからと、神は見なしたかもしれないのだ。「赤い花」。ヒロインは初潮で川を赤く染めたキクチサヨコだ。何も知らない少女はショックだ。悄然とした少女を、幼なじみの少年が負ぶい野道を帰る。背中の少女に言う。「眠れや、キクチサヨコ」。人はみないつか「眠れや…」と神に言われる日が来る。それが30代であったとしても何の不思議があろう。

 

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