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特集「幾億の星と幾千の月のシネマ・パラダイス」

2020年9月12日

特集「幾億の星と幾千の月のシネマ・パラダイス2」④ 
極道の妻たち(1986年 社会派映画)

監督 五社英雄

出演 岩下志麻/かたせ梨乃/藤間紫

シネマ365日 No.3321

「話、きこか」 

特集「幾億の星と幾千の月のシネマ・パラダイス2」

本作は日本映画の新機軸を作りました。いわゆる「男を支える女たち」を反転させたのが極妻の世界。女たちが潜在意識下に持っていた、トップリーダー待望感に形を与えたと言えます。ヒロイン、粟津環(岩下志麻)は男女平等論や雇用機会均等のレベルに位置しない女です。理屈は無力であるが、それらの理屈は女がトップになれば力を持ってよみがえる構造を、思い切り単純化して示す。セリフは一様に短い。結論を一言で言う。夫たちが刑務所にいる妻たちのため、環はアク抜き・ガス抜きのために「懲役やもめの会」(このタイトル面白い!)をこしらえ「今夜は飲んで踊って、羽伸ばしや」と言いながら、トラブルを訴えてくる女房たちの案件を聞いてやる。「姐さん、うちの子、父親が刑務所におるからと、イジメ受けてますねン」「心配ない。学校なんか行かんでも子は育つ」「姐さん、うちの人と別れて帰って来いと親が言うてます。うちの人と別れ話、つけてくれませんか」「自分で落とし前つけたらええ」「殺されます」「ほな、我慢しい」。副リーダーが「姐さん、きついこと、いわはりますなあ」「これくらい言わんと、亭主がおらん組を仕切れる女になれんわ」▼しかし妹・真琴(かたせ梨乃)には極道の道に入らせたくない。「あんたの縁談、決めてきたで。東大出のエリート銀行マンや」。さっさと妹を宝石店に連れて行き「貧乏は女(おなご)を不幸にするだけや。ダイヤの指輪、わてからの前祝いや」と指にはめてやる。やさしい姉さんであるが独断専行が玉に瑕。妹が意を決して「姉さん、わたし、まともな結婚には向かんわ」環はピンとくる。動物的なカンである。「ただの相手やないな」男は小さな組の組長だ。「ええか、真琴。極道にもピンからキリまである。あんたの男はキリや。いつか殺さな、しゃあない」なんでそうなる? リアリズムは吹っ飛んで、岩下姉御のセリフを追わざるをえないテンポのよさ。跡目争いのもつれで環は襲撃を受けた。ガータベルトに挟んだ拳銃を抜くやぶっ放す。手下(てか)たちが駆け寄る。「ほっとき。相手はわかってる」▼報復手段がチマチマしていない。ダンプカーを敵自宅に突っ込ませたのだ。「小磯の姐さん(家をつぶされた敵方の妻)が来てはります」「通し」と一言。豪華な応接室に招じ入れ「話し、きこか」テキパキと言うより命令調である。一方、妹がどうしても極道の妻になるという。「アホ!」ビンタ一発。「お父ちゃんの前(仏壇)であんたを地獄に行かせるわけにはいかん!」妹は拳銃を突きつける。「あほんだら。撃てるものなら撃ってみい」猛烈なキャット・ファイト。「行かせへんで」「いくんや」「なんで、わての言うこと、わからへんのや、ドアホ」。環の上等の着物の袖はちぎれ、長襦袢は乱れ、胸もはだけ、帯も緩み…数分間の長回しは「アトミック・ブロンド」に匹敵。息が上がり二人ともへたり込み「わかった。そこまで惚れたンなら今日限り姉でもなければ妹でもない。別々の極道の女房や。次に会う時は夫婦揃って胸張って出れるようにならんと、あんたの負けやで…(やや寂しそうに)はよ、行きなはれ」▼晴れて環の夫・粟津が出所する日。「あの人は白が好きや」環が用意した白のスーツを着て(全然似合ってない)粟津(佐藤慶)が船のタラップを降りる。粟津組整列(ただし警官隊の警護つき)。粟津が環に近づく。走り出た男が一人、環の目の前で粟津の胸に弾丸を撃ちこむ。エンド。このときシリーズ化は決まっていたのかどうか、話の筋は尻切れトンボですが、そんなことどうでもよく、本作の岩下志麻に、女性たちは、古い日本のモラルと役割を脱ぎ捨てた女がいることをファンタジーにも似て、感じ取っていました。

 

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