女を楽しくするニュースサイト「ウーマンライフ WEB 版」

  • facebook
  • twitter
  • line
  • rss

特集「ダンディズム-dandyism-」

2021年1月7日

特集「ダンディズム8」⑦ 市川雷蔵7 
若親分 千両肌(1967年 社会派映画)

監督 池広一夫

出演 市川雷蔵/藤村志保/山口崇/久保菜穂子

シネマ365日 No.3438

雷蔵スピリッツ 

特集「ダンディズム8」

「若親分」8作目にして最終作。雷蔵ファンに言わせると「陸軍中野学校」や「眠狂四郎」「忍びの者」「濡れ髪」などのうち本シリーズがもっとも「しょうもない」というのだ。かもしれない。「極妻」シリーズと同じで、基本ファンタジーであるから、リアリズムで見ればみるほど(ありえない)お話なのだ。一作目の舞台が明治末期、本作は昭和初期だ。時代背景が変わっても映画の骨子は変わらないのだから、尋常ではない設定に違いない。雷蔵は15年の役者人生で約160本の映画に出演。1年に10本のペースだから瞠目する。映画黄金時代のスターは雷蔵といい、石原裕次郎といい、吉永小百合といい、人間業ではない、魔物に憑かれたような仕事をしていたのだから凄まじい▼雷蔵の代表作に本シリーズは数えられているのだろうか。多分埒外だろう。凡作ばかりだからではない。つまらないからというのでもない。雷蔵映画で「若親分」は異質なのだ▼王朝のごとき花、牡丹の散りゆく不安と虚しさを体現したのが雷蔵だった。体質的なものか、生い立ちかわからない。わからないでも雷蔵はそういう気配を身にまとっていた。でも「若親分」は違う。どこまでもきっぱりと我が道を信じ、妥協せず、憂いなく、陽の当たる中央にいるヒーローだった。彼にはいつも理解者がおり、情を寄せる女性がおり、いざという時は海軍が助けに出て、虚しさも孤独もあったものではない。クリント・イーストウッドが「ダーティ・ハリー」の5作目を「作りすぎた」と言っていたが、多分雷蔵も同じ思いだった。最終作の本作も相変わらず南条武(市川雷蔵)はひとり孤影のうちに消える。物足りない内容をラストまでもたせたのは、本作に限っては久保菜穂子、長門勇、坂本スミ子、財津一郎の脇役陣だ。長門など大陸仕込みの空手という、怪しげな技で腰の座ったアクションを披露し、坂本・財津が奇術の早変わりをやる舞台裏は、手品の種明かしより機関銃みたいに喋りまくる二人の話芸が見せ所だ▼久保菜穂子演じる葉子は地元・青柳組の息子の恋人である。世間知らずの若旦那が葉子に入れあげる。雷蔵と久保菜穂子は「眠狂四郎 勝負」で共演している。財政を逼迫させるほどの贅沢のし放題。マリー・アントワネットみたいなお姫さまが久保菜穂子だ。ヴァンプが似合って憎々しさすら楽しくなる、そんな女優にかかっては若旦那などイチコロである。ファンタジーの中のリアルを受け持つ役者たちが充実し、頼りなくて当然のストーリーを救っていた。しかし一番のリアルはこれだろう。本作の半年後、雷蔵は入院する。少し良くなると無理を押してオファーを受ける。背骨が曲がりどうしようもなく代役が立てられたとき、ベッドで悔し泣きする。この男の意地が、マンネリと言われようと何と言われようと、「若親分」シリーズに最後まで芯を通した雷蔵スピリッツだ。ファンタジーとニヒルを、虚無と現実を雷蔵は往還する。厳しさだけが男ではない。作中で見せる、どこにでもいる市井の明るい青年、無邪気なまでの影のない笑顔にフラフラきた雷さまファンがいるはずだ。役になりきりながら、あるときはいたずらのように「地」をチョイ見せして翻弄する。森一生監督の言葉をもう一度用いたい。「ただ只、惜しい役者でした」

 

あなたにオススメ