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特集「ディーバ(大女優)」

2021年5月22日

特集「ディーバ18」原節子㉒
山の音(1954年 家族映画)

監督 成瀬巳喜男

出演 原節子/山村聰/上原謙/長岡輝子

シネマ365日 No.3573

異界の女

結局は家族の崩壊なのね。尾形信吾(山村聰)は、結婚2年で女をつくり、毎晩酒を飲んで帰ってくる息子修一(上原謙)の妻菊子(原節子)が不憫でならない。上原謙が限りなく冷淡なクズ男を演じる。山村聰は知的な初老の会社重役を、原節子は夫の素行に気づきながら、明るく振る舞う健気な嫁を。長岡輝子は現実的な家刀自、姑の保子である。鎌倉の家に長女、房子が戻ってきた。着替えの入った大きな袋を下げ、子供2人を連れて。赤ん坊を抱きとってあやす菊子に「子供はまだ?」と聞く無神経な女だ。修一も保子もろくなやつじゃない。修一はまともに菊子と向き合おうとせず、外の女に妻の批判ばかりする。保子は信吾が子供の頃から修一を可愛がり、保子をおろそかにしたのであの子はひねくれてバカな男を選んでしまった。修一が浮気するのは、信吾が嫁の肩ばかり持つから面白くないのだ、等々鎌倉の閑静な家の内はモヤモヤが立ち込め、見通しが悪い▼菊子は妊娠したが修一に女がいる間は産まないと中絶し実家に戻った。菊子がいない家は信吾にとって廃屋同然である。妻は善良だが繊細な感性を交歓できる相手ではない。おまけに「あなたが結婚したかったのは私の姉でしょう」と今なおあてこする。保子は30歳にもならないのにいじけた人生に浸かり切り、何にも立ち向かおうとしない。信吾も信吾で、息子にきっぱり引導を渡すわけでもなく、気立てのいい菊子の世話に甘えている。実家に帰った菊子から会社に電話が入り、信吾と2人だけで新宿御苑で会う。離婚の決心を告げる菊子に自分も信州の故郷に帰るつもりだと信吾は終活を告げる。修一はどうなる。映画では途中退場と同じ。誰も相手にしない存在であることが象徴される。作中人物のほとんどを「別れさせる」(「伊豆の踊子」「山の音」)、「死なせる」(「美しさと哀しさと」「雪国」「千羽鶴」)、「変態」(「みづうみ」「眠れる美女」「舞姫」)…つまり本作に登場する菊子のような女性は川端ワールドでは例外のまともな女性であり、信吾を筆頭に修一や保子らは異界に属するアブノーマル世界の住人である、と考えるとアブナイ家族が結局は崩壊に行き着くのは自然の成り行きであろう▼ところが菊子にしても夫の子を中絶するというレジスタンスを強行した挙句、三行半を決めはるばると広がる御苑を前に「お父さま、ビスタですね」(見通しがよいこと)というところは「ああ、せいせいした」の別の、やや品のいい言い方に過ぎない。彼女もまた当時の家族制度からはみ出した異界の女なのだ。ことほどかように、無力感と徒労感と、あるいは一種の嫌悪感の通底するのが川端作品であって、情感や感傷を剥ぎ取った「廃墟美」に近い。その廃墟美は官能的でさえある。そんな彼が日本の叙情を表す作家だなんて、笑っちゃう。1952年(昭和27年)から59年にかけ日本映画は絶頂期にあり、名作を立て続けに発表した。正月、ゴールデンウィーク、お盆には各社がこぞって大作、話題作を公開した。特に正月は幸先のよいスタートを切るため「これぞ」という力作が目白押し氏だった。その正月に東宝は3年続けて「成瀬巳喜男監督・水木洋子脚本」をぶつけた。本作(54年)、「浮雲」(55年)、「驟雨」(56年)である。「山の音」は1本にまとまった長編として書かれたのではなく、独立した短編として書き継がれた。最終章は映画が公開された後の54年4月に発表された。脚色の水木洋子はまだ未完だった原作のオチをつけるのに苦労したと述懐していたが、原作より菊子の反抗がはっきり出ていると思えるのは水木のなせる技か。原節子は水木と話し合ったかどうか知らないが、異界の女の一片を、時々いやらしい、怨みに満ちた目つきを見せてドキッとさせる。

 

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