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特集「幾億の星と幾千の月のシネマ・パラダイス」

2021年6月28日

特集「幾億の星と幾千の月のシネマ・パラダイス3」⑧
早春(1956年 家族映画)

監督 小津安二郎

出演 淡島千景/池部良/岸恵子

シネマ365日 No.3611

生活する滋味 

小市民の日常がコツコツと映し出される。通勤電車を待つサラリーマンの朝。通い慣れた丸ビルのオフィス。寝起きの悪い夫杉山(池部良)を起こす妻昌子(淡島千景)。邪魔くさそうに返事もせず布団から出る夫。結婚8年。子供を亡くした夫婦は倦怠期だが、多くを望まねば多くを失わないという哲学がオープニングから漂う。劇中同じ風景が繰り返し現れる。丸ビルの正面、杉山が勤める会社のドア。ドアに続く長い廊下。通過する電車。かくの如く人生は同じことの繰り返しなのだと、木で鼻をくくったようにサディッションするシーンだ。昼飯は何にするとか、夕方ちょっと一杯に寄るかとか、代わり映えのしない男同士の会話。トイレで噂話に余念のない女子社員。夫の稼ぎの悪さを実家で愚痴る妻。そこに金魚というあだ名の女子社員、千代(岸恵子)が登場し杉山の浮気の相手となる。昌子は家を出る。お定まりの展開だ。こんなしょうもない、物語とも言えないとりとめもない話が、どうしてここまで面白くなるのだろうと首をひねりながら観た▼ヒーローとヒロインのいない日常世界は小津の独壇場だ。積極的な千代に押されて一夜を共にした杉山。翌朝は早や後悔を丸出し。池部良の女を持て余す顔が逸品である。岸はそんな男の小心が手に取るようにわかる。わざと焦らせる。ゆっくり鏡に向かって紅を引き、急ぐ様子もない。そそくさと先に部屋を出て行った男を鏡の中から見送り「意地悪。ふん、なにさ」と嘲笑する。杉山の手に負えない女であるのに…あったはずなのに「わたし、あなたが好きになっちゃったのかしら」。夜更けに杉山の家を訪ね外に連れ出す。夜の土手を歩くが男は一刻も早くその場を離れたくて気もそぞろ。帰宅すれば女房の妖刀村正のごとき視線。淡島千景の凄みである。総務部超が杉山に転勤を打診する。岡山県の三石だ。本社のレンガ製造工場がある。2・3年の辛抱だ、生産現場を見てこいと言った。千代との仲を精算したかった杉山は荷物をまとめ単身出発する▼夫婦の仲人が同じ会社の上司、小野寺だ。杉山の浮気を聞き「過ちは小さいうちに片付けろ。最後に頼りになるのは女房だよ」と助言した。杉山が下宿に帰ってみると見慣れた女房のワンピースが衣紋かけにかかっている。大きなスーツケースも運び込まれていた。程なく昌子が買い物から戻る。「すまなかった。悪かったよ」「およしになって」「どうかしていたんだ」「もう言わないで」。ピシャピシャと遮り「本、読んでいるのね。来てよかったわ」「俺もやり直しだよ」「やるよ、今度こそ」「しっかりね」。窓の外を汽車が通過する。小津の好きな列車の光景だ。汽笛が鳴る。汽車の通過は夫婦の上を通り過ぎた危機の暗喩か。「紀子三部作」ほど、キリを揉み込むような痛みも哀惜もないが、「東京物語」の後、小津は今度こそ安寧な家族を描きたくなったのかもしれない。昌子の実母は娘に「いつまでも我を張っていると帰れなくなるよ、折れるべき時におれなくちゃ」と場数を踏んだ風格をかもす。浦辺粂子が下町のおばちゃんを好演。岸恵子。男との情事の結果いい目が出ないことは明らかになった。一度はすがりついたが、どうにもこうにも見込みはない。あんなヘタレ男に関わっちゃって、わたしバッカみたい。足元の明るいうちに出直そう。杉山の送別会に出席した千代は「元気でね」とテーブル越しに握手。後腐れのない女のキャラが立っていた▼本作公開の前後、映画界は大揺れした。日活は太陽族映画、東映は任侠映画で躍進した。松竹は興収トップの座を東映に明け渡した。そんな中でひとり、小揺るぎもせず生活と人間の滋味を小津は撮り続けた。

 

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