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特集「初霜は11月のベストコレクション」

2021年11月3日

特集「初霜は11月のベストコレクション」③
真実のマレーネ・ディートリッヒ(上)(2003年 ドキュメンタリー映画)

監督 ジョン・デイヴィッド・ライヴァ

シネマ365日 No.3739

アメリカのドイツ人

マレーネ・ディートリッヒは6歳で父を亡くした。義父も第一次大戦の戦場の傷がもとで9年後に没した。家は女家族となり、母ヨゼフィーヌが遺児のふたり、姉エリザベートとマレーネを「母はプロイセン魂で戦後のベルリンを覆う不況と政治不安から守った」とある。父はプロイセン将校。家庭は裕福で「いい子供時代だった。戦後の暗い青春だったとしてもよく学び、幸福にスポイルされることのない心構えができていた」とマレーネは回顧する。この少女は前衛的なベルリンの空気を肌で吸収した。好きだった。当時のベルリンには詩人や思想家が霊感を求めて集まる刺激的な街だった。自立心が強く、しつけのいい少女は一大決心をして舞台女優を目指しコーラスガールとなる。誰も注目しなかった。下積み時代、将来の夫となるルドルフ・ジーバーに出会う。マレーネの娘マリアは「父は最高の母の友人であり、いつも母を守った」。後年どちらも愛人を持つが、それでも「強い絆で結ばれていた」のは、ディートリッヒのノンセクシュアルな個性にもよるだろう▼ジョン・デイヴィッド・ライヴァはディートリッヒの実孫。伝記文学の白眉、彼の母(ディートリッヒの娘)マリアによる邦訳1300ページに及ぶ「ディートリッヒ」に比べると本作がダイジェスト版であることは否めないが、自分の最大の課題として祖母へ肉薄しようとしたのはよくわかる。ディートリッヒは家庭的な女性だった。生まれた娘を抱き「子供は私のすべて。なぜこんなに愛おしいの。私にはこの子しかいない」。そんな言葉を残している。台所が好きで料理が得意だった。家庭的な規律正しいイメージと裏腹の、退廃的で享楽的なイメージのギャップが魅力でもあった。戦時下のハリウッドの社交クラブで出征する兵士たちの送別会で「母は好きなエプロンをつけ、どこに行ったのかと思ったら台所で皿を洗っていた」。ハリウッドは徴兵一色になった。ディートリッヒの当時の愛人、ジャン・ギャバンはフランスを逃れアメリカに来ていたが、祖国への思い断ち難く、自由フランス軍で戦うと決めた。ディートリッヒは出航する船をノーフォーク港で見送った。ギャバンはフランスへ。「戦えない母は嫉妬した」とある。「市民権を取り、米国人となった母が立ち上がったのはヒトラーやナチを憎んだからだ」。彼女が前線の慰問部隊に入ったのは、アメリカで生きるドイツ人としてはもっとも妥当な生きる方便だったかもしれない。しかし根本は「ヒトラーやナチが嫌い」な素朴な感情だったとする娘の指摘は正しいと思える。それとディートリッヒ自身の性格による。頭を押さえつけられるのが大嫌い。責任感も義務感も強く、自分が選んだことにはどんな努力もするが人から強制されるのはイヤ。強きに強く弱きに弱く、つまり義侠心があって情にもろいこと。父は美男、母は美人、ひょっとしてヒトラーの顔が気にいらなかったのかも。ともあれ、第一次大戦後の混乱と、台頭するナチズムの不安をディートリッヒは肌で知っている。ナチがアメリカの監督や俳優に呼びかけた帰国要請は、ドイツで撮りたい映画を撮らせる、出演させるという好条件が揃っていたがディートリッヒは信用しなかった。事実帰国した映画人に仕事の保証はなく、プロパガンダとして重用されただけだった。ディートリッヒはアメリカの国債の販売に協力したが、それは母のいるベルリンに落とす爆弾を買うために使われる金となった。苦しかった胸の内を「深く考えないようにしないと続けられなかった」と語っている。

 

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