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特集「銀幕のアーティスト」

2021年12月31日

特集「銀幕のアーティスト13」⑫
ルキノ・ヴィスコンティの世界(下) (1999年ドキュメンタリー映画)

監督 カルロ・リッツィアーニ

シネマ365日 No.3797

誘い込むヴィスコンティ

ヴィスコンティが子供の頃から身に染み込んだ幅広い教養や知識、美しいものへの憧れ、鍛えられた審美眼が目覚めるには、単に小説、絵画、詩歌などのそれぞれ単一ジャンルではなく、総合的なフィールドが必要だったと思える。映画・演劇は彼の献身を受け止めるに足るスペクタクルな美学を要求した。妥協しない考証、贅を凝らした衣装にセットだけでなく、熱狂と拒絶が交錯する中で、愛され拒否され、退けられ、放棄される芸術のはかなさ。代表作はいくつもあるが、最高作は「ルードヴィヒ」であり、ヴィスコンティの精神的自画像だと思っている。ルードヴィヒの狂気と敗北の生涯に、ヴィスコンティは、ルードヴィッヒがノーマルな人間なら謳歌し、達成したであろう栄光と名誉を剥ぎ取り、孤独と死の淵に立たざるをえなかった青年の悲劇に息を吹き込んだ。暗愚なバイエルンの狂王としてのルードヴィヒに異議を唱え、自らの気質を貫いた男に剣のような美学を見出した▼同作に登場する従姉エリザベートは「ベリッシマ」と真逆にいるが、ヴィスコンティの女性観を余すところなく表現している。オーストリア皇后にしてルードヴィヒがただ1人愛した女性。繊細な感性が統治者としての従弟をいつか破滅させることを予見していた女性。彼女もまた宮廷のアウトサイダーであり、それが施政者としての運命だと受け入れていたが、この従弟は生涯を賭けて抵抗し、自らに殉じようとしている。彼女がヘレンキーム城の鏡の回廊(ヴェルサイユ宮殿を模した絢爛たるセット)を歩くシーンを通して、ヴィスコンティはルートヴィヒの孤独と社会への拒否を官能的なまでに表現した。「ベニスに死す」は美少年と初老の作曲家がクローズアップされがちだが、最も存在感を放つのは、少年タッジオの母親であろう。彼女の支配力、影響力はさりげないが、母親の視線をいつも視野に入れる少年の甘美な視線は、ヴィスコンティの母親への視線もこうだったのでは、と根拠なく思ったものだ▼きわめつけは「地獄に堕ちた勇者ども」の近親相姦である。母親の呪縛から解放されない美青年(ヴィスコンティの主人公は必ず美青年・美少年である)が、素っ裸になって暗い寝室の母のベッドのそばに立つ。母親はおびえながらもどこかで次の行動を待っている戦慄のシーン。ヴィスコンティはデカタンスの作家であるにとどまらず、危機と破滅のせめぎ合いを映像美にしたスリリングな作家だったと思う。育ちのいい青年の例にもれず彼は謙虚で礼儀正しかったが、ミューズへの献身となると暴君にも変じた。ロミー・シュナイダーにはドイツ人の彼女にフランス語のセリフで喋らせ、尻込みすると「君には勇気というものがないのかね」。舞台で倒れそうになるまでのやり直しにロミーが気絶しかけた寸前、幻聴のように「悪くなかったぞ、ロミーナ」という監督の声が聴こえた。マルチェロ・マストロヤンニはこんな思い出を語る。ダリがデザインした奇抜な衣装を着るのがどうしてもイヤだった。マネージャーは「監督に逆らうな」とダメ出ししていたが拒否した。ヴィスコンティは怒るのではなく衣装を着たマルチェロを「君は絵のように美しい」と褒めちぎって「いい気にさせた」が、演技するとなったら一変「ゴリラに芝居は無理だね」と怒鳴った。そんな場面はしょっちゅうだったらしい。しかし役者たちが最終的にヴィスコンティの指示を受け入れたのは、その次に来る観客の賞賛と拍手を知っていたからだ。このドキュメンタリーは、ヴィスコンティ映画を理解するダイジェスト版だが、次々疑問を投げかけてくれる。ヴィスコンティの素顔など知りたくもないが、彼の映画こそが最大の謎を解く鍵であることを教えてくれる。暴力と愛、時代と反時代、家族とその崩壊、官能と孤独、生きるという謎と混乱に満ちた人間の生。それらが深い井戸から語りかけるように、低い澄んだ声で観る者を誘いこむのだ。

 

「シネマ365日」今年も大晦日になりました。1年のご愛読ありがとうございます。今年8月、第1回スタートから10年を迎え、寄せられた御祝意に心より感謝申し上げます。コロナ禍に始まり、経済・政情の不安定など、困難を伴った1年でしたが、小さくともいい、心新たに一歩を踏み出しましょう。どうぞよいお年をお迎えください。

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