女を楽しくするニュースサイト「ウーマンライフ WEB 版」

  • facebook
  • twitter
  • line
  • rss

シネマ365日

2012年6月15日

セルロイド・クローゼット(1995年 ドキュメンタリー映画)

監督 ロブ・エプスタイン/ジェフリー・フリードマン

LGBTの映画史100年 

 ハリウッド映画史100年で、性的少数者(LGBT)はどう描かれてきたか、作家、映画作家、脚本家、俳優、監督らへのインタビューで構成したドキュメンタリーだ。120本の映画が例にあがっている。トニー・カーティスは「映画は人生の一部であり人生を学ぶ場だ」そこで社会がゲイをどうみていたか。ウーピー・ゴールドバーグは「黒人もゲイも少数派だ。日陰においやられている」▼初期の映画におけるゲイはお笑いのタネとして登場し、物笑いの対象だった。教会の抗議は厳しく検閲は本来の物語をズタズタにした。性倒錯者のアルコール依存症の映画だった「失われた週末」は、仕事でスランプに悩む男が陥った依存症に置き換わった。「熱いトタン屋根の猫」は主人公がゲイであるゆえの重要性が失われた。「去年の夏 突然に」はもっとひどい。変態の映画と決めつけられ、書き換えばかりで意味が通じない映画になったと脚本家たちが指摘する▼しかし厳しい検閲の目をぬって「同性愛は冷血な悪という、カモフラージュを施して生き残った」たとえば「女ドラキュラ」や「レベッカ」「ロープ」などがそれで「頭の悪い検閲官たちは賢い監督たちに出しぬかれた」。「マルタの鷹」ではボガードが来客の名刺の匂いをかぎ「ガーデニアだな」とつぶやく。ガーデニア(香水)という一言で客が登場する前に、かれがゲイであることが示唆される▼「ベン・ハー」では、脚本のゴア・ヴィダルがワイラーに進言した。「ベン・ハーと旧友マサラが別れた当時の14、15歳は恋人同士だったことにして、再会させたらどうだろう」ワイラーは真っ青になったが「今よりはましだ」と考え直し「ヘストンにいうと混乱するからスティーブン・ボイド(メサラ役)にだけ、内緒でいってくれ」と指示した。ボイドは完璧にその意図を体現した、とある▼イギリス映画が正面からゲイに取り組んだ。初のゲイの主役は「ヴィクティム」(1961年)のダーク・ボガードだった。60年代に入り検閲もゆるくなってきたがそれでも「噂の二人」では「理解が足りなかったことにあきれる。自分もオードリーも主人公の自殺という、重大なことを話しあっていなかった」とシャーリー・マクレーンは回顧する。同性愛者にくだされる罰は死だったのだ▼1970年になって「真夜中のパーティー」が公開された。主人公9人が全員生き残ることが新鮮だった。ゲイが自殺するとは、あるいはスクリーンの中で殺されるとは限らなくなったのだ。とうとう「キャバレー」でゲイが謳歌された。ゲイを認めたハリウッドで、しかしゲイは悪漢、殺人鬼、女装の犯罪者として描かれ脅威にさらされる。その一方で「日曜日は別れの時」「メーキング・ラブ」「カラーパープル」など1980年代に入ってつぎつぎ新しい試みがなされた。「ハンガー」(1983)のスーザン・サランドンは「泥酔してベッドインするのが当初の構想だったの。でも相手がカトリーヌ・ドヌーブだもの。よっぱらってより、進んで寝るほうがずっと面白いわ」俳優たち自身の意識も積極的に変わってきた▼シャーリー・マクレーンは分析する「観客はいつも先に進んでいる。観客の感性を突くことができれば成功よ」そのひとつが「フィラデルフィア」だった。トム・ハンクスは「エイズ患者をみたい観客がいたのさ」といってのけた。長い沈黙は終わりを告げ悪びれない声が生まれてきた。昔から存在した人々の物語を映画は語り始めた。サランドンの解釈をきこう「映画は危険なものよ。夢の番人だもの。小さな密室で観客は無防備になるわ。そして自分の感性がためされる。ふだんは感じないことを感じるの。自分が人生の主役になれるってね」▼自分のスタイルをつべこべいわれたくないし、言う筋合いはだれにもないと、映画がいえるまでに100年かかったのだ。ラストのこのメッセージこそ映画ビジネスの王道だろう「映画が人間の真の多様性を認めれば、観客をもっと笑わせ、もっと泣かせることができる」

あなたにオススメ