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特集「ディーバ(大女優)」

2012年6月12日

特集 ディーバ(大女優)悪女の元祖 ベティ・デイビス八月の鯨 (1987年 家族映画)

監督 リンゼイ・アンダーソン
出演 ベティ・デイビス/リリアン・ギッシュ/ビンセント・プライス

女優冥利に尽きる傑作

ベティ・デイビスは1989年10月6日、81歳で没した。これは死の2年前の映画であり遺作になった。姉妹を演じたリリアン・ギッシュは93歳、デイビスは79歳だった。劇中のデイビスのセリフにさかんに死の予感が頻出するが、彼女は大病のあとだったし死はすでに隣人だったろう。予感があろうとなかろうと人はいずれ死ぬ。デイビスが演じたリジーはそんな透徹した知性があって感傷のない女性だ。デイビスは自分の人生がハードシップだったと自伝に書いている。この自伝には死の2年前に至るまでのアルバムがあり、ドレスアップした写真にはこんなキャプションをつけている「昔はダンスにいくためにドレスアップしたものだ。さて今は賞を受けるためにドレスアップしたが、私にとって軽く扱ってよい賞はひとつもない。ことごとくの賞は血と汗と涙の結果だ」▼アメリカ、メイン州の小さな島で暮らす老姉妹がいる。姉がリジー(ベティ・デイビス)、妹がサラ(リリアン・ギッシュ)。どちらも夫に死に別れリジーには娘がいるが没交渉だ。仲のいい親子でなかったことをサラは知っているから、姉はここで自分と暮らすのがいちばんいいと思っている。花を育て、絵を描き手料理で隣人を夕食に招こうというサラに比べ、リジーの人嫌いと毒舌はひどい。目が見えなくなってからなお偏屈が高じた。のべつ幕なし「サラ」大声でよびつけ「何をしているの」と聞き「独り言を言っているの? だれか返事をした?」といちいち嫌味をいう▼ときどき悪いと思うのか「あなたには迷惑かけるわね」「苦にしていないわ」「気が変わるわ。だれでも」「あなたが必要ならそれでいいのよ」「アンナなんかわたしの娘なのに…」「あなたも母親らしいとはいえなかったわ」「遅かれ早かれすべてが消えていくわ。サラ、なぜ老女は公園に座ると思う」「さあ」「若い恋人たちの席を奪うためよ。私が先に逝ってベンチを確保しておいてあげるわ」万事この調子である▼この島には夏になれば毎年鯨が来る。水平線に現れた鯨をみようと、サラは子供のころから楽しみにしている。今年もそろそろ鯨が来るころだ。リジーは鯨ごときに心を奪われるふうはない。サラはご近所とも友好的だ。ロシアの亡命貴族マラノフ氏(ビンセント・プライス)が「奥さんを亡くした」とリジーに言うと「だれが後釜を狙っているのかしら、あの詐欺師の」「詐欺師だなんて。今夜夕食にご招待しているの」「そんな甘いことしているうちにここに居座るわよ」リジーの舌鋒は衰えることを知らない。けっこうなごちそうだったとマラノフ氏が謝辞を述べると、リジーは「ご忠告申し上げるわ。つぎの住まいをお探しになることね。ここにあなたを迎えいれることはできませんから」ズケズケいいサラは青くなる。マラノフ氏は「お姉さんのカンは素晴らしい。見ぬかれましたな」と悪びれず島を去ると告げる▼リジーの厳しい人間観にはもはや遠慮会釈がない。サラと50年来の親友である、隣家のティシャにもリジーは気を許さない。見晴らし台をつくれば海が一望できる、というサラに「私達の年で新しいものなんか意味ない」と目がみえない姉はけんもホロロである。亡き夫との結婚46年をサラは一人で祝った。夜になってろうそくをともし、写真に話しかけワインのグラスを掲げる、それだけのイベントだけどその日は愚痴がでた。「リジーが冷酷になっていくの。すぐ死ぬことを言い、マラノフさんに辛くあたり、もうついていけない。あなたが生きていてくれたら。リジーはアンナと暮らすべきだと思う?」ある日ティシャが不動産屋を連れてやってきた。この家を売るのだと言う。サラがポカンとしていると「リジーはアンナのところに行ってもらい、あなたは一番の親友であるわたしと暮らすのが一番いい」と言う。おだやかなサラがきっぱりと「差し出がましいわ。お帰りになって」リジーの人を見る目は正しかったのだ▼娘のところに行くというリジーにサラは同じことをいう「わたし、迷惑なんかじゃないわ」そこへ近所の大工が忘れ物を取りに立ち寄った。そそくさと帰ろうとするのを呼び止めたリジーが「見晴らし台を作るのに何日くらいかかるの?」サラの顔がパッと輝く。「要らないンじゃないので?」聞き返す大工に「私たちの家だから、いいように作るの」そう答えている姉をサラはやさしい笑顔で見る。なんだか美しい朝のようね、とリジーは言い、二人は支えあって岬の突端へ散歩に行く。青い大きな海が目路はるか広がる。「鯨は?」「行ってしまったわ」今年も見ることはできなかった。でも姉はこういうのだ「行ってしまったかどうか、わかるものですか」。室内に飾ってあるセピア色の、姉妹の若いときの写真は実際のデイビスとリリアンの写真である。「私の髪は白い?」ときく姉に「お母さんのようになってきたわ」と妹は答える。若いときに似合ったブルーのドレス、切りとって隠しておいたつややかだったブルネットの髪の一房。見えなくなった目でそれらにふれるデイビスのこれは、演技というのか。肉体ではない、スピリッツのような何かがわたしたちを動かす。大女優二人の詩情。生涯の最後にまだこんな仕事をしでかすなんて、女優冥利につきるとはこれをいうのだろう。