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シネマ365日

2014年2月21日

さらば美しき人 (1971年 恋愛映画)

監督 ジュゼッペ・グリッフィ
出演 シャーロット・ランプリング/オリヴァー・トラヴィス

映像はおれに任せろ

 ついていけん。百歩を譲って「こういう前提でなりたっているのだから、あまりごちゃごちゃ言わないで見ていよう」とか、この映画で感じるあらゆる抵抗に目をつぶったとしても、主役のひとり、ジョバンニ(オリヴァー・トラヴィス)の妹の愛し方が、ドラマだとか悲劇だとか近親相姦だとかいうまえに、あまりに幼稚なものだから、破滅することになっても「かわいそうだけど、あれじゃ仕方ないなー」ってとこに落ち着いてしまうのよ。シャーロット・ランプリングは25歳だったかな、このとき。3年後に「愛の嵐」がきてブレイクするのだけど、そのとき映画ファンを瞠目させた「痩せた女のエロチシズム」は本作ではまだ出ていない。若くてふっくらして、怜悧な細目が健康な爬虫類のような美しさを放ち、なんとなく女優「開眼前夜」みたいな緊張をたたえていて…それくらいかな、よかったの▼いやもうひとつ。この映画をとびきりのものにしているのは映像だ。撮影が「光の魔術師」ヴィットリオ・ストラーロ。ファーストシーンに、黒いひげにふちどられた美しい男の顔を正面からクローズアップする。半顔に光、半顔が影。思い切り単純化したライティングは、それだけで物語のすべてを知ってしまったような完結感を与える。その後スクリーンに登場するオリヴァー・トラヴィスは、このシーンほどの衝撃度はないです。舞台は中世の北イタリア。裸の梢を空にさしのべる木々が荒涼とした領地にボローニャからジョバンニが帰館する。妹のアナベラをひと目みて美しさに愕然。彼等はもともと相思相愛だ。お互いに兄であることと妹であることに腹がたって悔しくて仕方ない。幼馴染の修道僧に兄は「なんでだ、なんでだ」とうっぷんをぶちまけ、死んでやる、とばかり空井戸にとびこみ、底で大の字になって雨に打たれ、修道僧が様子をみにきたり、食べ物を投げ入れてやったりして、何時間かしたらホイホイでてくるお騒がせ男。やめとけよな、始めから▼妹も妹である。思い余った兄が「この剣で僕を刺せ。もうダメだ。お前の愛が僕の心と人生の安らぎを乱した。なぜ刺さない」そう迫ると妹は「わたしが死ぬわ」顔をあわせて死ぬことばかり言っているのだ。手がつけられない。そうこうするうち妹が妊娠した。兄は修道僧に(彼はろくなことで呼び出されない)「どうしたらいい、アアどうしたらいい、君は僧侶だろう、道を指し示すのが仕事だろう、なんとか言えよ」ンまあ、好きなだけやることやっておいてこの言い草はないだろ。修道僧は友だちのために先輩僧侶に意見を聞きにいく。先輩は「なにくわぬ顔で女を嫁がせ子供を産ませ、兄は妹に二度とあってはならぬ」その通り告げると兄貴は「夫となる男がベッドで妹に好きなことができ、愛している僕になぜ同じ行為が許されないのだ」修道僧は無力にうちのめされ「彼はいい。君はだめ」それだけいって去る▼嫁ぎ先の男ソランゾは前々からアナベラにプロポーズしていた貴族の城主。ついに手に入れた花嫁だ。だがアナベラはかたくなにベッドを拒否する。ソランゾは「おれが一度でも君に無理強いしたことがあるか。耐えよう。君はもっと広い世界をみるといい。そうすれば気持ちも変わるだろう。そうだ、ベニスがいい」アナベラはソランゾの寛容にうたれ、旅先で彼を受け入れる。ここのベッドシーン、ソランゾの彫刻のような筋肉がとってもきれいで、なかなかよかったですよ。それはともかく、ソランゾは花嫁に豊かな性の経験があるばかりかみごもっていることがわかり怒髪天を衝く。そういう考え方の時代だったのね。監督はここから「ピシッ」強い鞭をくれ映画を疾走させます。その意図を受け「よしわかった」ストラーロは能舞台のような鋭い映像で観客の目を支配します。ソランゾはジョバンニ一族をパーティに招待し皆殺しにすると決める。アナベラは招待を受けやってきた兄に一刻も早く逃げてと危機を知らせるが、兄貴は耳を貸すどころか、いまこそお前は誓いを果たすときだと妹の胸に剣をつきたてる。「残酷な兄上」妹のこの最期の言葉が本作の原題です▼ラストで展開される殺戮とアナベラの心臓をえぐりだすジョバンニの狂気は陰極まった愛の形か。辟易しながらも見てしまいました。本作はルキノ・ヴィスコンティが舞台化し兄にアラン・ドロン、妹にロミ・シュナイダーで大ヒットしました。ドロンといいシュナイダーといい、切り札ともいえる役者を擁して彼は映画化を考えましたが残念なことに実現しませんでした。見たかったですね。