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コラム

2011年9月12日

今なお息づく志賀直哉旧居から文化を発信

志賀直哉旧居(奈良学園セミナーハウス)
館長 北森貞次さん

志賀直哉旧居(学校法人奈良学園セミナーハウス)は高畑の破石のバス停を東へ上がる高畑裏大道にある。春日野原始林の麓に広がる静かなこの一帯は明治時代は春日大社の禰宜(ねぎ)が暮らしていた場所。住居は昭和初期に志賀直哉自らが設計し、好みであった数奇屋造りに巧みな京都の大工が建築した。ここで長編小説「暗夜行路」の後半を書き上げたことは有名だ。
実はこの有形登録文化財は30数年前、存続の危機にあった。というのは直哉が東京へ移住した後は民間人に売却され、戦後昭和22年には米軍が接収、その後厚生省が宿泊所として使用したが老朽化のため解体の話が持ち上がった。草の根保存運動が盛り上がるなか、学校法人奈良学園が買収し第一次修復工事ののちセミナーハウスとして活用するとともに一般にも公開された。それから30年が経ち、平成20年に「直哉の時代に戻す」大々的な復元工事が行われ、平成21年5月から全館が一般公開されている。

館長の北森貞次さんは県立高校の教員を経て畝傍高校・奈良学園の中高の校長、奈良文化女子短期大学教授を歴任。開館に合わせて館長に就任した。「ここは楽しいですよ。建物から志賀直哉に触れることができます。私は高畑に通ってますがこの辺りは涼しくて、春日大社の社家町(しゃけまち)だったという風情が色濃く残っていますね」直哉を慕って多くの文人や画家が訪れたという明るいサロンでお話を伺った。

直哉は京都の山科に住んでいた時に妻が6人目の子どもを身ごもり、借りている家が狭くなったのを機にこの奈良の土地へきた。この時の決心を「妻子を可愛がろう」と日記に記しているという。
「その思いが部屋割りや部屋の趣向など家の造りに表れています。例えば客間であったサンルームと、それに隣接する妻と子どもの部屋は南に面しています。日がさんさんと差す晴れやかな方へ妻子の部屋を、自分の書斎は北東の隅に配しました。お客さんと奥さんをいかに大事にしてきたかがわかります」。
この家を見るポイントは、部屋と部屋の境い目にあると北森館長。「台所とダイニングの間には今のカウンターキッチンのような窓があり、互いの顔が見えるようになっています。お手伝いさんは客や家人から隠れてはいないのです。他にも客間からは下地窓(壁下地の竹または葦をそのままにした窓)によって隣の奥さんの部屋の広縁と常につながっていてお客様とは直接交流できる感じですし、子供部屋と自分の居間との壁には腰窓があって、丸見えではないけれど互いに気配を感じることができるようになっています。個々を大切にしながら、干渉しすぎず、無関心ではないという距離が保てる。このように毎日の生活にも工夫が感じられますね」
お手伝いさんと客人の間には人として隔たりはないとう考え方や妻子への接し方は自由や平和を愛し、人権を尊重し人道主義であった、まさに白樺派の理念に通じるものがあるという。

日記の決意の続きは「溺れないように愛しよう」だった。「この旧居の佇まいの隅から隅まで、志賀直哉が息づいている。ここで家族を大切にし家庭を築いたんだとわかる」と文学青年だったという北森さんは嬉しそうに微笑んだ。
現在、奈良学園セミナーハウスでは広くカルチャー講座等に開放しており、近代文学シリーズ、古典文学シリーズ、詩・短歌シリーズ、白樺派サロンの会による特別講座などが開催されている。