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特集「美しい虚無-妄想映画の魅力」

2015年4月20日

特集「美しい虚無=妄想映画の魅力2」 ポゼッション(1980年 ホラー映画)

監督 アンジェイ・ズラウスキー
出演 イザベル・アジャーニ/サム・ニール

欲望のクリーチャー 

 イザベル・アジャーニが世にでた「アデルの恋の物語」のアデル、「ブロンテ姉妹」のエミリ・ブロンテ、「カミーユ・クローデル」のカミーユ、「王妃マルゴ」のマルゴら、アジャーニの役の選択好みには狂気系・淫乱系がついてまわる。なかでも本作はダントツ。ヒロイン・アンナは独善的、ヒステリック、暴力的、そのあまりの独走スタイルは現実を突き抜けた存在ですらある。オープニングは陰々たるベルリンの壁である。この映画がどうみても幸福感とは縁がないことを、アンジェイ・ズラウスキー監督は示唆する。狂気と妄想の世界にようこそ…ぞくぞくするものが早くもただよってくる▼長い単身赴任を終え西ベルリンに帰ってきたマルク(サム・ニール)を迎えた妻アンナ(イザベル・アジャーニ)の態度が普通ではない。大きなトランクをさげてタクシーを降りた夫に「お帰り」でもなければ「お疲れ様」でもなく剣突を食らわせ、その夜のベッドインでは「こういう倦怠感は夫婦に普通のことよ」なんて、夫にしたら普通ではすまされない。やっぱり男がいた。妻の部屋でみつけたハガキに「ぼくは神の半分を見つけた。残りの半分は君だ」だと。その男ハインリッヒに電話するが彼の母親が息子は目下ドイツにいないと言う。毎日妻はどこにいる「第三の男」と会いにいくのか。マルクは探偵を頼む。妻を尾行した探偵はとある部屋にアンナが入るのを確かめ、管理人と称して室内に入ると、暗い浴室の壁にヌメヌメとうごめく黒い物体がいた。アンナは彼を撲殺する▼探偵社の所長が、担当者が帰ってこないとマルクを訪ねてくる。マルクも知らないが彼が調べた妻の住所はここだと教える。所長はそこへ行きアンナに会う。中にだれかいるのですかと聞くと「彼が。でも疲れているわ。昨夜一晩中愛しあったから」と気だるげに答える。アンナが目で示した大きなベッドの上には、成長した血まみれの黒い物体が、胴体にタコのような長い脚をくねらせて横たわっている。部屋を見回すとカーテンの下から男の足が。所員が殺されたとわかり所長は拳銃を取り出すが逆にアンナに射殺されてしまう。マルクから住所を聞いてハインリッヒがアパートに来た。黒いタコ物体はさらに成長し、人間のような細長い肢体になっている。武術の心得のあるハインリッヒも驚愕し、怪物を殺そうとするがアンナに狙撃されかろうじて脱出する。とにかくアンナは目撃者を生かしておきたくないのである▼息子が通う小学校の担任が妻にそっくりだとマルクは驚きますが、これも妄想の一種だと思われます。母親に瓜二つの女性だとすれば、息子も愛人のハインリッヒも一言も言及しないのは不自然です。マルクにだけ妻に似ていると見える願望投影でしょう。この映画には本筋を混乱させる仕掛けが多いので、ソックリさんはひとまず脇へ置きます。なぜ人が変わってしまったのか、マルクは責めるのですがアンナは自分でもわからない、自分が望んでこうなったのではないと泣きながら「あなたに触られると思っただけで耐えられないの。どうせわたしは淫売よ、だれとでも寝るわ、放っておいて」と叫び、ぞっとする目で笑う。アンナが言うには「自分の中に善と悪の姉妹がいる。恐ろしいことをする妹がいる。どちらが本当の自分なのかわからないが、悪を産み出す自分が怖い。わたしを淫らな女と思うでしょうけど、でもちがう。だれにも何も感じないの」▼アンナは地下鉄の通路で激しい発作に襲われ、持っていた牛乳と卵の袋を壁にたたきつけ、白い散乱した液体を浴び、身悶えしてのたうちまわる。しゃがみこんだアンナの全身から血が、股間から白い液が漏れ出て、衣服も髪も顔も名づけようのない液体でドロドロに汚れ、恐怖と恍惚の絶叫が響きわたる。カンヌ国際映画祭主演女優賞もこれじゃ文句つけられないわね。アンナの部屋に来たマルクは、妻と怪物のセックスを目撃する。黒い怪物はぬらぬらしているが明らかに人間の姿に近づいている。どちらもが濃厚に手足をからませ北斎の春画のポーズである。夫に気がついた妻はマルクを見つめ「もう少し、もう少し」と謎の言葉をもらす▼マルクは部屋を爆破しアンナの殺人の痕跡を消滅します。マルクを追ってやってきたアンナの背後にもうひとりのマルクが。これが「もう少し」の正体です。つまり怪物の成長変化の最終段階はマルクの完成だったということになります。監督はこの複雑な妄想のプロセスに、なにも説明を与えていませんので勝手に解釈すると、夫の愛にも人生にも満たされていなかった女が、とてつもない妄想で生み出したクリーチャーがタコ仕様の怪物である。夫の形象をしていたところをみるとアンナはマルクを愛してもいた、子供も産んだ、しかしアンナとしては別の在り方が欲しかったのだろう。かくありたかったもうひとりの自分。その強い欲望がクリーチャーを産み、彼女はクリーチャーの形をとった自分の欲望とセックスする、一体化を望む。その行為は猛々しく激しく充実して、自分が人生にのぞむすべてを燃焼できた。強度のアンナはその怪物を分身として愛するが、妄想と現実の境界はだんだん曖昧になっていった。アンナはマルクを殺し、自分も死ぬ。息子を預かった担任の先生の家にだれか男が訪ねてきた。ドアのすりガラスに映る姿形からして、それはアンナの妄想が産んだマルクである。息子は開けたらダメ、開けないでと先生に懇請するが先生はドアに近づいていく。恐怖した息子は水を張ったバスタブにつかって死ぬ。救いも解決もない映画です。しかしアンナでなくても人は欲望というクリーチャーを持っている。たとえ満たされなくても、どこかで折り合いをつけて生きていっているだけだ。冒頭のベルリンの壁のシーンに、いきなり木で作った十字架が前後の脈絡になにも関係なく映されます。深淵を覗いた者は深淵から、狂気を見たものは狂気から見返される。妄想が心のなかの実在となって生き始めたとき、お前はどうするつもりか。十字架はそう問いかけています。最後に、異形のクリーチャーを映像にした視覚アーティストはカルロ・ランバルディ。「エイリアン」「未知との遭遇」の特殊効果も彼です。

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